今年4月10日のオリックスバファローズ戦で、プロ野球28年ぶり16人目の完全試合を達成した千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手。
高卒でプロ3年目の21歳という若さながら、昨年のパ・リーグ王者のオリックス打線に対して完璧なピッチング。
完全試合と同時にプロ野球新記録の13者連続奪三振、プロ野球タイ記録の1試合19奪三振と記録ずくめの投球を披露しました。
そんな「令和の怪物」と呼び声の高い佐々木選手ですが、高校時代にはどのような成績を残していたのか。
佐々木選手のファンの方はもちろん、プロ野球ファンはとても気になりますよね!
そこで当記事では、佐々木朗希投手の高校時代の成績を、当時のチームの監督の采配を含めてまとめていきます。
ぜひ最後までご覧ください。
佐々木朗希の高校時代の成績まとめ!
高校:岩手県立大船渡高校
岩手県立大船渡高校に入学した佐々木選手は、1年夏の岩手県大会でマウンドに上がり、公式戦デビューを果たし、最速147km/hを計測します。
しかし、佐々木選手の登板はこの1試合のみで、チームは3回戦の花巻南高校に2-3で敗退しました。
2年夏の岩手県大会でも初戦の盛岡第三高校戦のマウンドに上がり、最速154km/hを計測します。
しかし、チームは佐々木選手が外野手として出場した3回戦の西和賀高校戦に2-3で敗退します。
2年生秋の岩手県大会では、高校2年生史上最速タイとなる157km/hを計測しました。
3年夏の岩手県大会では、チームのエース投手だけでなく、4番打者も務め、チームを引っ張ります。
4回戦の盛岡第四高校戦では、公式戦での高校生投手史上最速タイとなる160km/hを計測しました。チームは延長12回の末、4-2で勝利します。この試合で佐々木投手も12回を完投し、194球を投じました。
4回戦翌日の準々決勝(5回戦)では、昨日194球を投げた佐々木投手は登板しなかったものの、チームは延長11回の末、6-4で久慈高校に勝利します。
準決勝の一関工業高校戦では佐々木投手が先発投手を務め、5-0で完封勝利を収めて決勝戦に進出しました。
決勝戦の相手は甲子園常連の強豪・花巻東高校。
佐々木投手と同じ高校生投手史上最速の160km/hを計測し、現在はメジャーリーグでも活躍している大谷翔平選手の母校であることから、とても注目された一戦でした。
しかし、決勝戦は準決勝の翌日に試合が組まれていたこともあり、大船渡高校の國保陽平監督が「故障防止のため」という理由で、佐々木選手はこの決勝戦に投手・打者の両方で出場しませんでした。
結果的にチームは2-12で敗れ、35年ぶり2回目の甲子園出場には届きませんでした。
佐々木投手の決勝戦の登板回避は当時、メディアでも大きく取り上げられるほどの社会問題に発展しました。
決勝戦後、大船渡高校には苦情の電話が殺到し、野球関係者や評論家の間でも議論が展開されました。
高校生にとって甲子園出場は夢であり、佐々木選手の投球を甲子園で見たい高校野球ファンも多かったと思います。
最速163km/h!?ついたあだ名は「令和の怪物」
佐々木投手は3年夏の岩手県大会4回戦の盛岡第四高校戦で、大谷翔平選手(現ロサンゼルス・エンゼルス)が持つ高校生投手史上最速の160km/hに並んでいます。
このように球速で大きな注目を集めた佐々木投手は『令和の怪物』と称されるようになりました。
また、星稜高校の奥川恭伸選手(現東京ヤクルトスワローズ)、創志学園高校の西純矢選手(現阪神タイガース)、横浜高校の及川雅貴選手(現阪神タイガース)とともに、この年の『高校BIG4』と呼ばれました。
佐々木選手は高校3年夏の岩手県大会で投打の中心としてチームをけん引し、大船渡高校決勝進出の快進撃の立役者となります。
しかし、佐々木選手は3年春の高校日本代表候補による研修合宿の紅白戦で、野球場の表示ではないため非公式ながら163km/hを計測したことがあります。
この163km/hは、中日ドラゴンズのスカウトのスピードガンで表示された球速であり、野球場の球速表示でないため非公式となっていますが、大谷翔平選手が持つ高校生投手最速記録を上回っていることから、佐々木投手は大きな注目を集めることになります。
迎えた花巻東高校との決勝戦。甲子園を掛けた一戦で佐々木選手が甲子園常連の強豪校を相手にどのようなピッチングを見せるのか注目が集まりました。
しかし、前述の通り佐々木選手は決勝戦に出場することなく、大船渡高校は準優勝に終わりました。
佐々木朗希が甲子園予選の決勝で登板しなかった理由
佐々木投手が登板しなかった理由は、チームの監督である國保陽平監督の指示でした。
國保監督は決勝戦で佐々木選手を温存したことについてメディアの前で次のように話しています。
プレッシャーがあったんでしょうね。(佐々木を)壊しちゃいけないというプレッシャーが。あの若さで。
あの、高い身長(190cm)で、滑らかなフォームで、変化球もうまくて、牽制もうまいという才能は、世界の野球の歴史を変えるかもしれない。
だからこそ、壊さずに次のステージへつなげなければならないと思っていました
引用元:NEWSポストセブン
つまり、國保監督は、準決勝で完投した佐々木投手を決勝戦でも起用することは、怪我の危険性があるため、佐々木投手の将来を見据えて温存したんですね。
この采配はなかなかできる事ではないと思います。
あと1勝で甲子園出場。しかもチームには絶対的エースの佐々木投手がおり、佐々木投手が投げていれば勝利の可能性は大きくなったでしょう。
しかし、國保監督は選手の体調を最優先しました。
結果的に、大船渡高校からドラフト1位で千葉ロッテマリーンズに進んだ佐々木投手は、ここまで大きな怪我はなく、プロ入り3年目を迎える今年、プロ野球28年ぶりの完全試合、しかも最年少での達成という大偉業を成し遂げることになりました。
この活躍には、高校時代に國保監督から、投手として大切に育てられてきた影響は大きいと思います。
まとめ
この記事では、佐々木朗希選手の高校時代の成績を、國保監督の采配をめぐるエピソードとともにお伝えしてきました。
いくら才能に満ち溢れた野球選手であっても、怪我をしてしまったらグラウンドでプレーすることはできません。
大船渡高校としても35年ぶりの甲子園出場がかかっていた中で、選手の体調面を気遣い、佐々木投手を温存した國保監督の想いは、現在の佐々木投手の活躍につながっているといって良いと思います。
佐々木投手は今後のプロ野球を代表する投手になることが期待されています。
その中でも怪我に気を付けて、野球選手として長く活躍してもらいたいですね!
最後までお読みいただきありがとうございました。