日本を代表する女子スピードスケート選手として有名な高木美帆選手。
北京オリンピックでも多くのメダルを獲得してくれていますね。
高木美帆選手のお姉さんもスピードスケート選手オリンピック代表として活躍した高木那菜選手で知られています。
高木美帆選手は幼少期から運動神経抜群で、ついたあだ名は「スーパー中学生」!?
そんな高木美帆選手の学歴を小学生時代から大学時代まで調査したのでご紹介していきます!
高木美帆の学歴まとめ
高木美帆の小学生時代は?
出身小学校:北海道 幕別町立札内北小学校
高木美帆選手の出身地は北海道です。
出身小学校は地元北海道幕別町にある公立の幕別町立札内北小学校でした。
高木美帆選手が5歳の頃にスケートを始めています。そして小学5年生の時に出場した全日本小学生スピードスケート選手権ですでに優勝の経験をしています。
元々の運動神経のスペックが高かったこともあり、小学6年生の頃には陸上女子800mでも十勝館内の小学生新記録を達成したり、7歳からスケート平行してサッカーを続けていたりその運動能力の高さには目を見張るものがあります。
きっと高木選手自身も幼いころから体を動かすことが大好きだったんですね。
高木美帆の中学生時代は?
出身中学校:北海道 幕別町立札内中学校
高木美帆選手は地元幕別町にある公立の幕別町立札内中学校を2007年4月に入学し、2010年3月に卒業されています。
中学時代にはぐんぐんそのスケートの才能を光らせていて、中学2年生では全日本ジュニアスピード選手権で総合優勝を果たしました。
また同年、ジュニアワールドカップ500mと1000mで優勝しています。
その実力から、2010年2月に行われたバンクーバーオリンピックでは日本スピードスケート史上最年少で日本代表選手として出場しています。(結果:1000m35位、1500mで23位)
この頃の高木美帆選手はまだ中学3年生です。こんなすごい中学生は1000年に1人の逸材と言えますね!
このことから世間でも注目されるようになり、この実績を称えて地元幕別町から町民栄誉賞を贈られたそうです。その時の呼び名が「スーパー中学生」だったそうです。
またスケートだけではなく「帯広フットボールクラブ」でプレーし、男子に交じってレギュラー入りしていたそうです。
高木美帆選手の運動能力の高さには男子にも負けないパワーがあったんですね。
こんなにすごい同級生がいたら鼻高々でどこまでも応援していきたくなります!
高木美帆の高校生時代は?
出身高校:北海道 帯広南商業高校(偏差値56)
高木美帆選手の出身高校は北海道にある市立校の帯広南商業高校でした。1959年開校の共学校で商業科のみ設置している学校です。
高木美帆選手は2010年4月に入学し2013年に卒業されています。
商業高校にしてはかなり偏差値が高いですが、実際この高校は大学進学率や検定試験の取得率が高く道内でもトップクラスの学校とのこと。
部活動にも力を入れている学校で、スケート部に所属し練習に明け暮れた日々でした。
高校2年生の時にはワールドカップ・ソルトレークシティ大会1000mで世界ジュニア新記録を出し優勝しています。
また高校2・3年生と連続出場した世界ジュニア選手権では2年連続で総合優勝し日本人史上初の連覇という偉業を達成しました。
そんな高木美帆選手の高校時代は、すでに世界と戦っていたこともあり練習三昧の日々でした。それでも友達と部活後にサッカーをしたり川遊びをしたり、友達もたくさんいたそうです。
また高校時代の青春である文化祭にも参加していて小学生の頃から続けていたヒップホップを披露したとのこと。
残念ながら卒業式は大会と重なり同級生と一緒に参加はできなかったそうですが、後日高木美帆選手のためだけに卒業式が開かれたそうです。
辛い練習の日々でも応援してくれるたくさんの友達に囲まれ、学生生活も積極的に参加して濃い青春時代を送っていたんですね。
高木美帆の大学は日本体育大学!
高木美帆選手の大学は、多くのオリンピックメダリストを輩出した体育系で超名門の日本体育大学でした。
出身大学:日本体育大学 体育学部体育学科 (偏差値48)
高木美帆選手は高校卒業後、2013年4月に日本体育大学にスポーツ推薦入学していて2017年に卒業しています。
じつは複数の実業団からの勧誘があったそうですが、すべて断り大学進学したとのこと。
その理由として、当時高木美帆選手はトレーニング方法や健康管理、スポーツ心理学にも興味があり、また高木選手の兄の大輔さんも大学在学中であったことから大学進学を決断したそうです。
高木美帆選手は大学ではスケート部に所属して練習に励みました。そんな高木美帆選手でしたが大学に入ってからの環境の変化に慣れずスランプに陥ったそうです。
大学1年生の時に出場したユニバーシアード1000mでは、見事金メダルを獲得しました。
しかし、大学2年生になるとソチオリンピックのためのすべて代表選考会で結果が出せず残念ながらソチオリンピックでは日本代表として出場することはかないませんでした。
そこで高木美帆選手は食生活を始め、練習方法やアプローチの仕方、靴などガラッと変えたとのことです。
その成果が出たのが大学3年生の頃からでメキメキと実力をつけ始め、500m~5000mまでこなすオールラウンダーとして成長していきます。
さらに追い風となったのが、ソチオリンピックで日本代表がいい結果を出せなかったことから、オランダのヨハン・デビットコーチが日本に呼ばれました。これにより高木選手のスケート観ががらりと変わり高木選手に大きな影響を与えました。
大学卒業後はスケートを継続しながら、日本体育大学野外スポーツ系運動学郡氷上スポーツ研究室の助手に就任しています。
その頃には、ワールドカップで優勝しはじめ日本新記録や世界新記録をたたき出しています。
大学卒業後の翌年23歳で出場した平昌オリンピックでは、4種目に出場しましたね。
- 女子団体パシュート 金メダル
- 1500m 銀メダル
- 1000m 銅メダル
見事に3つのメダルを獲得し、また紫綬褒章受章されました。
ソチオリンピックで落選したことが高木選手には転機となり、またその悔しさをバネにして懸命な努力を行った結果が実った瞬間と言えます。実際、高木美帆選手もソチオリンピックに落選したことは自分にとって必要だったと語っています。
そして2022年2月に行われている北京オリンピックでは、五輪3度目の出場となり、日本女子最多に並ぶ5種目にエントリーしています。
すでに女子スピードスケート1500m、500m、女子団体パシュート・スピードスケートで銀メダルを獲得してくれていて、平昌オリンピックと合わせて通算6個のメダル獲得数となり日本女子単独最多記録を打ち出しています!
強い信念と柔軟で素直な性格を持ち合わせているからこそ、自分を見つめ直し、自分に必要だと思う新しい考えや練習方法を取り込んで見事結果に繋げることができたのですね。
地道に努力を積み重ねてきた強い女性でありとても憧れる選手です。
まとめ
高木美帆選手が幼少期からものすごい運動神経抜群だったこと、そして挫折をバネに乗り越える力のある努力者であることがわかっていただけたと思います。
いくつもの記録を打ち出してきたすごい選手でしたね。
まだまだ北京オリンピックでの高木美帆選手の活躍に期待して全力で応援したいと思います!
最後までお読みいただきありがとうございました。