北京パラリンピッククロスカントリーでエース言われる川除大輝選手。
日本人離れしたハーフっぽいお顔立ちでイケメン選手として注目されています
そんな川除大輝選手の経歴をご紹介していきます。
川除大輝プロフィール・経歴
- 名前 川除 大輝(かわよけ たいき)
- 生年月日 2001年2月21日
- 年齢 21歳(2022年3月1日時点)
- 身長 161cm
- 血液型 A型
- 出身地 富山県富山
- 所属 日本大学・日立ソリューションズ「チームAURORA」ジュニアスキークラブ
- 種目 クロスカントリースキー LW5/7クラス
経歴
- 2018年 平昌パラリンピック 混合10kmリレー 4位
- 2019年 世界選手権カナダ大会 クロスカントリースキー・ロング・クラシカル金メダル
- 混合10kmリレー4位
- 2019年 ワールドカップ札幌大会 クロスカントリースキー・ミドル・フリー金メダル
- 2022年 北京冬季パラリンピック クロスカントリー男子20kmクラシカル 金メダル
川除選手の苗字はあまり見ない珍しい苗字ですね!「かわよけ」と読むそうですが、全国でも少なくおよそ120人ほどの苗字とのことでした!
川除大輝・先天性両上肢機能障害
川除大輝選手は、生まれつき両手両足の人差し指と中指がない先天性両上肢機能障害という障害を持っています。
もう少し詳しく調べると、川除選手には両手の指3本、右足の指2本、左足の指3本があります。右手の握力はあるものの、左手の握力は弱く上手に握ることが難しいそうです。
スキーを始めた当初は、ストックを持つことが難しく、一歩進むことも大変でよく転倒していたそうです。
生まれた時から指の障害と付き合あっている川除選手。たとえ難しいことがあっても諦めない根性があるからこそ今回のメダルに繋がっているんですね。
川除大輝・学歴
小学校時代
川除選手は小学校1年生の時に従兄弟にクロスカントリーに誘われて始めたそうです。
そのときに入ったクラブは「猿倉ジュニアスポーツクラブ」です。
小学校の頃にはサッカーやそろばんも習っていたそうですがすぐに辞めてしまったとのこと。スキーを始めて現在まで続けているということは、当時の川除選手にとってスキーはとても楽しいスポーツだったんですね!
中学校時代
スキーを中学生まで続けていった川除選手。
この頃にはワールドカップのオープン戦に出場するまでの力をつけていました。
このワールドカップ出場を機にクロスカントリーに対する意識が変わり、世界中にいる強い選手たちに勝ちたいと思うようになったそうです。
高校生時代
富山県立雄山高等学校(とやまけんりつおやまこうとうがっこう)
2017年に川除選手の地元の富山県にある富山県立雄山高等学校に進学されています。
富山県立雄山高等学校は富山県の中新川郡にある公立高校で、スキー部は全国大会に出場する選手を多数輩出するなどスキー部名門校とのことです。
練習量もたっぷりで遊ぶ時間もあまりなかったそうです…。
朝練は、午前6時から1時間、走りをベースにトレーニングしています。あとは、授業終了後の4時から7時過ぎぐらいまで1週間、びっちりトレーニングする感じです。日曜日は部活休みとなっています。(川除大輝選手インタビュー回答)
引用元:B&G HP
2018年、高校2年生の時に初めて平昌パラリンピックに日本代表として出場されています。
残念ながらメダルにはあと一歩届かなかったのですが、その後に行われた2018年-2019年シーズンには世界選手権やワールドカップ札幌大会で優勝を飾る成績を修めています。
大学時代
日本大学 スポーツ科学部
川除大輝選手は日本大学のスポーツ科学部に在学中です。スキー部に所褥し入学当初より寮生活をされています。現在21歳で2022年3月現在は大学3年生です。
平昌パラリンピックで惜しくも結果がでなかった川除選手は、その悔しさからスキーの名門である日本大学に進学されました。
これまで以上に充実した設備でウエイトトレーニングなどにも打ち込むと急成長をされ、北京冬季パラリンピックでは、クロスカントリーのエースと言われるほどの実力をつけました。
3月7日に行われたクロスカントリー男子20kmクラシカルの立位クラス(立って滑るクラス)では、2位との差を1分30秒以上の差をつけて圧勝し金メダル獲得となりました。
これは日本男子最年少記録とのことです!すごいですね!
川除大輝の師・新田佳浩
クロスカントリー男子20kmクラシカルの立位クラスでは、「憧れ」であり「ライバル」であり「師匠」という存在の新田佳浩選手が一緒に出場していました。
新田佳浩選手は現在41歳(2022年3月1日時点)で、北京冬季パラリンピックが日本勢最多7大会連続出場となる選手です。
20年以上も世界の第一線で活躍し続けてきた新田選手と川除け選手の出会いは、川除選手が当時小学校4年生の頃。
新潟県のスキー場で川除選手と新田選手が出会い、新田選手がバンクーバーオリンピックで獲得した金メダルを首にかけてくれたとのことです。これがきっかけで競技スキーに打ち込むようになったそうですよ。
川除選手が平昌パラリンピックに初めて出場したときに、緊張と不安でいっぱいだった時に救ってくれたのも新田選手で「いままでやってきたことを出せば結果が出るから」という言葉をかけてくれたとのことです。
今回の北京冬季パラリンピックは、川除選手にとって、憧れで目標であった新田選手が切り開いてきた道を受け継ぎ自分がエースとなってその道を繋いでいく、師と弟子の想いがぶつかり合うそんな大会となったそうです。
見事金メダルを獲得した川除選手の姿を見て、これまで川除選手の姿を見てきた新田選手も喜びの気持ちを抱いたことでしょう。
自身の技術や日本代表としての心構えを継承してきた21歳の川除は金メダル。期待するからこそ、あえて厳しく接することもあった後継者の成長を同じレースで見届け「これから引っ張ってくれる存在だと思う。もっと高みを目指して頑張ってほしい」とエールを送った。
引用元:デイリースポーツ
まとめ
先天性両上肢機能障害という生涯を持って生まれた川除大輝選手。
とっても笑顔の素敵な選手ですが、学歴を紹介する中でその笑顔の裏に隠れている負けず嫌いの底知れぬ根性が垣間見れたのではないでしょうか。
北京冬季パラリンピックでは、まだまだ川除選手の滑りを見ることができるので、活躍に期待していきたいと思います!
最後までお読みいただきありがとうございました。