2022年北京オリンピックの男子フィギュアスケータの代表選手の1人として注目度抜群なのが今回オリンピックに初出場となる鍵山優真選手です。
そんな鍵山優真選手ですが、鍵山選手の父親についても今話題となってるようです。
鍵山優真選手の父親は実は元五輪選手だったんです!
北京オリンピック男子フィギュア日本代表となった鍵山優真選手を支える父親の鍵山正和さんについてご紹介していきます。
鍵山優真の父親・鍵山正和は元五輪選手だった
鍵山優真選手の父親である鍵山正和さんは男子フィギュアスケートの元日本代表です。
鍵山正和さんは1971年4月12日生まれで、愛知県名古屋市出身の方です。
選手時代は身長160cmと小柄な選手でした。
1991年から全日本フィギュアスケート選手権に3年連続で優勝した実力者でした。
1992年にはアルベールビルオリンピック、1994年リレハンメルオリンピックに男子シングルの代表として二大会連続で出場しています。残念ながらメダルには届いていないですが日本代表に連続で選ばれていたなんですごいですね。
そして1994年に千葉県で行われた世界選手権で自己最高の6位入賞を果たし、この大会を最後に現役を引退されています。
その後はプロに転向し専属のインストラクターとして若手選手たちの育成に力を注いできました。
現在もコーチとして育成に力を注ぎ、息子の鍵山優真選手とは選手とコーチの間柄となっています。
そんな鍵山正和さんですが、若いころはとてもイケメンで人気のある選手だったそうですよ!こちらが若かりし頃の鍵山正和さんです。
キリっとした顔つきだけどどことなく柔らかい印象でイケメンですね!
鍵山優真選手と父親の正和さんの雰囲気がとてもそっくりに感じます。とくに似ているのは目元あたりでしょうか!
多くのファンの方が、優真選手と正和さんの表情がそっくりだと驚いているようですよ。
当時の鍵山正和さんを知る方は鍵山優真選手のスケーティングを見て当時を思い出す方もいらっしゃるのではないでしょうか。
鍵山優真の父親・鍵山正和がコーチをしていた
鍵山優真選手がフィギュアスケートを始めるきっかけとなったのが父親である正和さんの影響だったそうです。
”父親の職場についていって、滑っているうちに楽しくなって、5歳の時から本格的に習い始めました。父親から矯正された訳ではなくて、とにかく自分がやりたいなと思ったのがきっかけでした。(引用:dmenuスポーツ)”
鍵山優真選手の父親である正和さんは現役を引退し1994~2005年までプロとして活動後、2005年から富士スケートセンターや横浜銀行アイスアリーナでフィギュアスケートを専門に指導する専属のインストラクターとして仕事をはじめました。
フィギュア選手時代の正和さんは膝の使い方がやわらかく、下半身のしなやかな動きからトリプルルッツかたのトリプルトゥなどの連続ジャンプが得意だったそうです。
そんな父親である正和さんにコーチングをしてもらった優真選手も膝の使い方が柔らかいことを高く評価されているそうです。父親譲りの膝の柔らかさを武器に世界で戦う実力を身に付けていきました。
鍵山優真の父親と母親は離婚していた
ここまで鍵山優真選手の母親の話は登場してこないですが、それは鍵山優真選手の父親である正和さんと優真選手の母親は離婚していたからでした。
離婚後は鍵山正和さんが優真選手を引き取りシングルファザーとして育ててきました。
”正和さんには離婚歴があり、シングルファザーとして鍵山選手を育てたという。
父ひとり子ひとりの生活
「家事もお父さんがすべて担当しており、朝練のときもお父さんに起こしてもらっていた」(参照:女性自身)“
いつ離婚したのかや離婚理由については明らかになっていません。
優真選手には姉と弟がいるようです。
一般的に両親が離婚するタイミングとして多いのは子供が小学生に上がる前とのことです。この時期は子どもの精神的負担が少なかったり、環境の変化に対応しやすいことが理由として挙がっています。
ですので、憶測にはなりますが優真選手の弟さんが小学校にあがるタイミングでの離婚が可能性としては高そうです。
当時すでにフィギュアスケートを始めていた優真選手でしたから、フィギュアスケートの経験のある正和さんが優真選手を引き取り父と子の父子家庭生活が始まったと考えられますね。
鍵山優真の父親の病気について
2人3脚でオリンピック代表の切符をつかみ取った鍵山優真選手と父・正和さんですが、苦難を乗り越えてつかみ取った切符だったんです。
2018年6月23日に当時46歳だった正和さんは脳出血で倒れました。
一命はとりとめましたが、その当時、優真選手は14歳の時でした。
ジュニアグランプリシリーズで演技を終えた直後にそのことを知った優真選手は相当ショックを受けていたようです。
懸命なリハビリの末、倒れてから約半年後にはコーチとしてリンクに戻ってきた正和さんですが、左半身麻痺が残り杖歩行となっています。また長距離の移動はかなり体力を使うこともあり車椅子での移動をしています。
2021年3月の世界フィギュア選手権では鍵山優真選手が正和さんの乗る車椅子を押す姿が報じられています。
左手の拘縮とインタビュー動画を見る限りでは呂律障害はなく感じますが、顔面麻痺から口角下垂が残っているようで少し動かしにくそうな印象を受けますね。
それまで鍵山優真選手のコーチとして指導に当たっていた正和さん。
脳出血発症後スケートリンクに立つことが難しく直接指導ができなくなった為、もう一人のコーチで振付師であった佐藤操さんに見てもらいながらの練習が始まりました。
上の画像で優真選手の右に座っているのが佐藤操コーチです。
脳出血で入院中の正和さんに代わって優真選手のそばで支えていました。
佐藤コーチの左手の平に「Dad(父)」と文字を記載してあるのがわかりますか。
離れていてもみんなで一丸となって勝利をつかみに行ったという絆が感じられて目頭が熱くなりますね!
正和さんの入院中には、優真選手はジャンプ動画を撮ってこまめに送ることでアドバイスをもらい練習を繰り返していたそうです。
現在の鍵山優真選手は
▶技術のアドバイス:正和さん
▶技術以外の指導:佐藤操コーチ
▶振付:ローリー・ニコルさん
という体制をとって日々の練習に取り組んでいるようです。
こうして幼いころから親子2人でお互いを思いやり固い絆で結ばれているからこそ、苦難を乗り越えてオリンピック代表選手の切符をつかみ取ることができたんですね。
☆まとめ
2022年北京オリンピック男子フィギュアスケート日本代表の1人として選ばれた鍵山優真選手の活躍の裏側には父親・正和さんの深い愛情とお互いを尊敬し苦難にも乗り越える親子の絆が隠されていたことをわかっていただけたでしょうか。
試合が終わると10代らしい柔らかい笑顔が印象的な優真選手ですが、その笑顔の裏側にショッキングな出来事に耐え懸命に練習に取り組む姿に感銘を受けます。
男子フィギュアスケートの試合日程は2月8日にSP、2月10日にフリーがありメダル争いが行われます。
初のオリンピック代表としての緊張があると思いますが、メダル獲得できるよう鍵山優真選手の活躍を応援していきます!!
最後までお読みいただきありがとうございました。