北京オリンピック日本代表選手の1人で、美しい演技で世界でも注目される羽生結弦選手。
歴代の好きな男子フィギュアスケート選手としてもトップの座を獲得しています。
そんな羽生結弦選手の努力の裏には家族の大きなサポートがあったんです。
今回は、羽生結弦選手の家族についてご紹介していきます。
羽生結弦の家族構成
羽生結弦選手は父・母・姉・羽生選手の4人家族です。
羽生結弦選手をサポートする家族についてご紹介していきます。
羽生結弦の父親
父親:羽生秀利(はにゅうとしひで)さん
羽生結弦選手の父親は宮城県の公立学校の教師とのことです。担当科目は数学で、野球部の顧問をされていました。
2014年:石巻市立湊中学校に勤務、その後利府町立しらかし台中学校に異動し、教頭就任
2016年:宮城県塩釜市立第三中学校に赴任、校長就任
校長まで勤め上げる方ですから、周囲からの信頼される人望の持ち主だったのでしょう。羽生結弦選手がとてもしっかりされているのには父親の影響があるのでしょうね。
ちなみに羽生結弦選手の名前を付けたのも父親の秀利さんだったそうですよ。
”弓の弦を結ぶように凛とした生き方をしてほしい”という願いが込めてあるそうですが、名前の通り自分の信念を貫く素敵なフィギュアスケート選手として成長してくれていますね。
羽生結弦と父親のエピソード:父は野球をやらせたかった
羽生結弦選手の父親である秀利さんは、とても野球が好きで野球部の顧問も務めていました。
そのこともあり、今でこそトップフィギュアスケーターの羽生結弦選手ですが、本当は羽生結弦選手には野球少年になってほしかったとのこと。
しかし幼いころの羽生選手は喘息持ちだったため野球をすることは難しかったそうです。そこで喘息を克服するため、姉の影響もありフィギュアスケートを始めました。
どんどんフィギュアにのめり込む羽生選手。
小学2年生の頃から日本フィギュアスケート界の名コーチである都築章一郎氏の指導を受けることになった羽生選手。才能が一気に開花します。
(こちらの画像は都築章一コーチと幼いころの羽生結弦選手です。)
練習量はどんどん増え、レッスンは朝早くから深夜まで及ぶことがありました。そんな忙しいスケジュールでしたが羽生選手を送り迎えしてサポートしていたのも父親の秀利さんでした。
羽生結弦と父親のエピソード:羽生結弦をそっと見守る父親
教育者ということもあり厳格な性格であった父親の秀利さん。大事な時には羽生選手を支える言葉を伝えていたそうです。
羽生結弦選手が父親からかけられた言葉の中で大切に心にしまってある言葉があります。
「どんなにフィギュアの練習が大変だったとしても、勉強だけは続けなさい。将来は一流の選手である前に、一流の社会人にあってほしい。」
この言葉は、教育者である父親ならではの言葉のように感じます。
その教えのとおり、羽生選手はフィギュアスケートを頑張る傍ら、学校でも常に優勝な成績を修めていたとのことです。
勉強は一生の家宝となることを伝えているのですね。
羽生結弦選手がインタビューでしっかりとした自分の言葉で伝える発言の裏には父親の秀利さんの教えがあったからだと感じます。
フィギュアスケートのトップに君臨する羽生結弦選手。
父親である秀利さんは、羽生結弦選手の地道な努力をみとめつつも、羽生選手のフィギュアについては口出しはせず一歩下がったところでそっと見守る父親であったようです。
羽生結弦の母親
母親:羽生由美(はにゅうゆみ)さん
現在専業主婦と言われていますが、過去にはパート時代もあったそうです。
母親の由美さんは羽生結弦選手の身近で直接的に一番支えている人物でしょう。
フィギュアスケートを続けるためには莫大な費用がかかります。国内で練習する限りでは年間500万円もかかるそうですが、国際大会に出場する実力のある羽生選手。海外遠征を行ったりすると、年間1000万円以上かかります。
父親である秀利さんは公務員でしたので安定した収入はあったと思いますが、羽生結弦選手がフィギュアスケートを続けたいという気持ちを尊重するために母親である由美さんもパートをして家計を支えていたと考えます。
きっとその頃だと思いますが、由美さんは百貨店の紳士服売り場での主任とクリーニング店と掛け持ちもしていたそうです。
羽生結弦と母親のエピソード:東日本大震災後、背中を押した母親
2011年3月11日に起きた東日本大震災では、羽生結弦選手の使用する練習リンクも大きな被害を受けました。また連日被害の報告を受け、その痛ましさを実感する日々。
その中で羽生結弦選手は自分だけフィギュアスケートを続けていていいのだろうか、と葛藤していたそうです。
そんな時に、羽生結弦選手にフィギュアスケートを続けるべきだと背中を押したのが母親の由美さんでした。
コーチや関係者にフィギュアスケートを続けさせてほしいと頭を下げて回った結果、羽生結弦選手は震災の影響が残る中、練習を続けてくることができました。
羽生結弦と母親のエピソード:羽生結弦を懸命に支えた母親
羽生結弦選手は高校3年生の時にブライアン・オーサー氏に師事するために練習拠点をカナダ・トロントに移しています。
当時、羽生選手の実力が今一歩オリンピック代表に到達するか微妙な時期でした。
そこで母親の由美さんはブライアン・オーサー氏に羽生選手のコーチを必死に頼み込み、由美さんの熱意に根負けしたブライアン氏は羽生選手のコーチを引き受けたそうです。
羽生選手と共にカナダに行き、羽生結弦選手の栄養管理やメンタルコントロールについて学び徹底的にサポートしました。今でもカナダで一緒に生活をしてサポートを続けています。
羽生結弦と母親のエピソード:愛情いっぱいの衣装
莫大な費用のかかるフィギュアスケートを継続させるために母親の由美さんの地道な節約努力がありました。羽生結弦選手の母親の由美さんは、2012年頃までフィギュアスケートの衣装を手作りしていたそうです。
フィギュアスケートの衣装ですから羽生選手の身体にフィットする、かつ動きやすい衣装が必要になってくるでしょう。
一から作るなんてとても大変なことだったと思いますが、母親の愛情がいっぱい詰まっていてとても素敵ですね。
そんな母親の懸命なサポートもあり、見事羽生結弦選手は金メダルを獲得しています。
母親の息子への愛情は計り知れないものがありますね。
由美さんの想いも肌で感じていた羽生結弦選手は、平昌オリンピックで金メダルを獲った時、最初に母親の由美さんの首にその金メダルをかけてあげたそうですよ。
羽生結弦の姉
姉:羽生さや(漢字は非公開)さん
姉のさやさんは、羽生結弦選手の4歳年上です。
羽生選手の姉のさやさんは2015年にアイスリンク仙台の職員として働いていたとの情報がありました。
羽生結弦と姉とのエピソード:フィギュアを始めたきっかけは姉だった
もともと羽生結弦選手がフィギュアスケートを始めたきっかけとなったのがこの姉・さやさんとのこと。
幼いころに元々は姉のさやさんがフィギュアスケート教室に通っていました。
そのさやさんの通うフィギュアスケート教室を見た羽生選手がフィギュアスケートに興味を持ち羽生選手が4歳の頃にフィギュアを始めました。
喘息克服のために始めたフィギュアスケート教室でしたが、当時から転倒してもスピンやジャンプに果敢に挑戦していたとのこと。
ダブルアクセルを羽生選手に教えたのは姉のさやさんだったそうですよ。
羽生結弦と姉とのエピソード:フィギュアの道を譲っていた
1人分でもフィギュアスケートを継続するには費用がかかります。月に20万もかかることも一般的です。一般家庭で育った羽生家にとって2人分のフィギュアスケート費かなり厳しいものでした。
一時期フィギュアを続けることが難しい時期もあったそうですが、なんとか2人で続けていました。
その後、姉・さやさんは高校卒業後にフィギュアスケートを辞め羽生選手をサポートするためにスケート費を捻出するために就職をしたとも言われています。
姉のさやさんから見ても羽生結弦選手のフィギュアスケートにおける才能があったことを見抜いていたのでしょう。
羽生選手にフィギュアスケートを続けてほしいという切実な思いが伝わってきます。
だからこそ、羽生結弦選手の輝かしい活躍にはさやさんも大きな喜びを感じていることでしょうね。
まとめ
羽生結弦選手の活躍の裏には羽生結弦選手を支える家族の絆があったことをおわかりいただけたと思います。
この家族の愛情を受けてきたからこそ、羽生結弦選手は常に感謝を忘れない、感謝の気持ちをしっかりと表現できる選手なのでしょう。
今後の羽生結弦選手の活躍を応援していきます。
最後までお読みいただきありがとうございました。