2022年5月、チュニジアで開催されたフェンシング女子サーブルのワールドカップで、江村美咲選手が女子サーブルのシニアワールドカップで日本初の優勝を果たしました。
女子サーブルのシニアワールドカップでの優勝は、日本女子サーブル史上初の快挙です。
そんな江村美咲選手の強さの秘密はどこにあるのか。
江村美咲選手の学歴(大学・高校・中学校・小学校)や幼少期からの生い立ちに迫ります。
江村美咲選手のかわいい画像も集めましたので、お楽しみください!
江村美咲の学歴まとめ
中央大学
江村美咲選手が通っていた大学は、フェンシングの名門である中央大学です。
そこで法学部へ入学した江村美咲選手は、味の素ナショナルトレーニングセンターを拠点とし、午前中にトレーニングをした後、片道1時間半ほどかけて大学へ通っていました。
学業とフェンシングの両立、まさに文武両道で素晴らしいですね。
2020東京五輪フェンシング女子サーブルの日本代表に内定したのは在学中の4年生の時。
2021年3月に卒業後はプロへ転向しています。
大原学園高等学校
板橋区立志村第二中学校を卒業した江村美咲選手は、その後、『資格の大原』が設立した私立高等学校、大原学園高等学校へ入学しました。
晴れて高校生になった江村美咲選手は、JOCエリートアカデミーに加入します。
午前中は大原学園高等学校で勉強に励み、午後は拠点としている味の素ナショナルトレーニングセンターで自身のフェンシングの技術を磨いていたそうです。
午前中は高校で知識を磨き、午後は味の素ナショナルトレーニングセンターでフェンシングの技術を磨いていました。
そうして行く中で着実に国際舞台で勝負できる実力を身に着けていった江村美咲選手は、ついに2014年のアジア選手権、女子サーブル南京ユースオリンピックで準優勝、そして優勝を勝ち取りました。
こちらは、江村美咲さんが高校生の時に出演したNTTぷららのPR動画です。
次々に襲い掛かるサラリーマンを斬っていく江村さん、かっこいいですよね!
板橋区立志村第二中学校
小学校時代、フェンシングフルーレの選手として競技をしていた江村美咲選手は、小学校卒業直後、とある大会に出場しました。
その大会の優勝賞品はが、ウサビッチのジグソーパズル。
江村美咲選手は、このウサビッチのジグソーパズルがどうしても欲しくて、この大会に出場への出場を決めました。
板橋区立志村第二中学校へ進学し、その大会への出場を機に中学校からサーブルへと転向した江村美咲選手ですが、中学の段階ではまだJOC(公益財団法人日本オリンピック委員会)エリートアカデミーには加入していませんでした。
ご本人が嫌だからという理由で加入していなかったようですが、練習は一緒に見てもたっていたようですね。
日田市成宣小学校
江村美咲選手は、幼いころからフェンシングをやっていたというわけではなく、小学校3年生の時からフルーレを始めました。
両親に言われたわけではなく、周りがやっているのを見ているうちに、自分の意志でやってみたいと思い、始めたようですね。
そんな江村美咲選手の通った小学校は、大分県の日田市成宣小学校です。
その後ご家族で東京都の板橋区へ引っ越されたようですが、板橋区での小学校の記録は確認することができませんでした。
しかし、江村美咲選手の通っっていた板橋区立志村第二中学校の学区から考えられる小学校を推測すると、小学校は板橋区立志村第二小学校、板橋区立志村第三小学校、板橋区立志村第四小学校が濃厚ではないかと考えられます。
幼少期
江村美咲選手の父親は、ソウルオリンピックフルーレ日本代表で、北京オリンピック監督、ロンドンオリンピックコーチを務めた江村宏二さんです。
母親はエペのフェンシング選手として、世界選手権にも出場経験がある江村孝枝さん。
兄は車椅子フェンシングで日本代表にもなった江村将太郎さんで、弟はフェンシング経験者の江村凌平さん。
江村美咲さんは、そんなフェンシング一家で育ちました。
江村美咲選手は、初めて剣を握ったのもいつだか覚えていないくらい小さいうちから、父の江村宏二さんが講師を務めるフェンシング教室について行くことを日課としていました。
両親からフェンシングを勧められたことはなかったと言い、本格的にフェンシングを始めたのは小学校3年生の時からだそうです。
まとめ
フェンシング一家のサラブレッドとして生まれながらも、それを強制されることなく自分の意志でフェンシングを始め、フェンシングと向き合ってきた江村美咲選手。
そのまっすぐな強い意志こそが江村美咲選手の強さの秘訣なんだと感じました。
これからの活躍にも期待したいところですね。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。