箱根駅伝において、青山学院大学を黄金期に導いた原晋監督。
陸上監督以外でも、テレビ出演や書籍など、多方面で活躍していますよね。
そんな原晋監督ですが、お子さんがいない理由は何なのでしょうか。
今回は、原晋監督に子供がいない理由について、調査しました!ぜひ、最後までご覧ください。
原晋監督に子供がいない理由は?
原晋監督の奥さんは、寮母をしている美穂さんです。
お2人は結婚して30年近くたちますが、お子さんはいないようです。
お子さんがいない理由はいろいろとあると思いますが、駅伝監督が激務で時間が無かったということもあるかもしれません。
原晋監督と美穂さんは、青山学院陸上部の寮管理人室で生活しています。
美穂さんは寮母として選手たちのサポートをしており、朝から晩までやることが盛りだくさんです。
お互い全力で監督業を頑張ってきましたし、陸上に人生を捧げてきたので、選手が本当の子供のような存在でしょうね。
原美穂のプロフィール
- 名前:原美穂(はら みほ)
- 生年月日:1967年3月8日(56歳)
- 出身:広島県広島市
原美穂さんは広島県出身ですが、父親が転勤族だったので、千葉や埼玉、北海道にも住んでいたそうです。
前職は証券会社の社員で、原晋監督が仕事を辞めて大学陸上部の監督になる際、寮母に転身しています。
美人寮母で影の立役者ということもあり、これまで多くのメディアでも特集されています。
『フツーの主婦が、弱かった青山学院大学陸上競技部の寮母になって箱根駅伝で常連校になるまでを支えた39の言葉』という書籍も出版しており、幅広い活動をしています。
原晋監督と嫁とのエピソード
原晋監督と美穂さんとの間には、いろいろと紆余曲折あったようです。
馴れ初めがすごい
原晋監督と美穂さんとの馴れ初めは、バブル全盛期にさかのぼります。
原晋監督は船上パーティーに参加し、好みの女性と知り合ったので、口説こうとして女性の家に電話をしました。
するとそのとき、女性の家で留守番をしていた美穂さんが電話に出ます。
原晋監督は気づかず、意中の彼女だと勘違いし、一方的に口説いていました。
最終的に「友だちの美穂です」と言われてかなり驚きましたが、そのまま会話を続けて、『今度、映画でも行こう』となったそうです。
原晋監督が美穂さんを映画に誘ったときは、「お見合いがあるから行けない」となり、お茶だけ飲んで別れたそうです。
その後、美穂さんのお見合いの結果を聞き、映画に誘ってOKをもらったそうです。
友人の美穂さんを口説き、恋人になって結婚するというのは、なんともドラマのような展開ですね。
監督になることを反対していた
美穂さんは、原晋監督が仕事を辞めて陸上部の監督になることに、猛反対していたそうです。
何度も話し合いをしながら、どうにか納得させたそうですよ。
原晋監督は美穂さんと同じ広島県出身で、港街育ちでとても活発な少年だったそうです。
父親は、小学校の教師だったのですが、「勉強しろ」と言われたことはなかったそうですよ。
大学時代は教師を目指したそうですが、中国電力の陸上部からお誘いがあり、その会社に入社しました。
その後、学校つながりの縁で青山学院の陸上部監督に誘われたそうです。
先も不安で結果を出せなかったら批判も集めますので、周囲は猛反対したのですが、唯一母親だけが賛成してくれたそうです。
寮母として功労者に
美穂さんもびっくりして、安定している生活を捨ててまで監督になるなんて・・・と、とても不安だったそうです。
とはいえ、『新しいこととかプロジェクトを立ち上げるのが好きだから・・・』と、納得もしたそうです。
さらにそのときは、家を新築したばかりだったので、「東京に本当にいくの?」と反対しました。
しかし、美穂さんも寮母に誘われ、最初は宅急便を受け取る程度のお仕事と言われていたそうです。
しかし、住み込みで寮母をしているうちに、学生の不規則な生活や、態度を正したいと思ったそうです。
陸上の成果を出すようにサポートしたいと思い、寮母として食事や寮生活の手助けをするようになります。
苦労は多かったと思いますが、監督を支えている美穂さんの存在があったからこそ、青山学院は箱根駅伝で見事優勝を果たすことができたのでしょう。
まとめ
今回は、原晋監督に子供がいない理由について、紹介しました!
原晋監督に子供がいない理由ははっきりしていませんが、お互い忙しくてタイミングがなかったのかもしれません。
夫婦二人三脚で青学陸上部を支えてきたので、選手たちが我が子のように思っているのではないでしょうか。
今後の情報にも注目ですね。最後までお読みいただき、ありがとうございました。