スコットランドリーグの名門セルティックに移籍して1年目から二桁得点を獲得し、レギュラーとして活躍している古橋亨梧選手。
このセルティックへ移籍後の活躍からより日本でも注目をされるようになりました。
日本代表としても2021年11月17日に行われたFIFAワールドカップ・アジア予選のオマーン戦で初出場を果たすと2022年5月時点で12試合に出場し、3ゴールをあげるなどセルティックでの好調ぶりを発揮しています。
今回の記事ではそんな古橋亨梧選手の学歴についてまとめましたので、最後までご覧ください。
古橋亨梧のプロフィール
まずは古橋亨梧選手のプロフィールを確認します。
- 名前:古橋亨梧(ふるはしきょうご)
- 本名:古橋匡梧(ふるはしきょうご)
- 生年月日 :1995.01.20
- 身長:170 cm
- 体重:63 kg
- 出身地:奈良県生駒市
- 利き足:右足
古橋匡梧ですが、古橋亨梧名義で登録をしています。
本名ではなく、古橋亨梧名義で活動しているのは
- プロへの挑戦に向け、縁起を担いだ名前に変更した
- 匡梧は「王」が逃げてしまう・「亨」にすれば片足でも上に行けると占い師に助言をもらった
などの理由が噂されています。
古橋亨梧の学歴(経歴)は?
2021年シーズンからセルティックに所属すると移籍後の初戦から大活躍を果たし、いまや海外でも人気の高い古橋亨梧選手ですが、学生時代から有名な選手だったのでしょうか。
学生時代をまとめましたので、ご覧ください。
小学生時代
古橋亨梧選手は、生駒市立生駒台小学校の出身です。
小学1年生くらいの時に、近所のお兄ちゃんがサッカーをやっているのを見て、「かっこいい」と思ったのがきっかけで、地元のサッカーチームである桜ヶ丘FCに入団をし、サッカーを始めた当時からFWとして活躍をしていました。
当時の様子を以下のように答えています。
昔からずっとなんですが、普段はシャイで大人しいタイプで、慣れるまでは自分から話かけることが、あまりできないタイプなんです。
でも、サッカーだと人が変わったかのように負けず嫌いになるので、そういう点はFWに向いているかもしれません。周囲の人からも「サッカーをしている時と普段のイメージが全然違う」とよく言われます。
https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20191018/985963.html
中学生時代
古橋亨梧選手は生駒市立光明中学校の出身です。
中学生になると、京都サンガのジュニアユースを受けますが、残念ながらセレクションに落ちてしまいます。
そして地元の街クラブであるアスペガス生駒FCに入団しました。
強く、厳しいチームだったんです。小学校の時、敵わない相手だったので、「そこに行きたい」という子はあまりいなくて。
僕も「行く」と自分で言ったにも関わらず、最初は、めちゃめちゃ嫌がって、泣きながら「帰る!」とか言っていたんですけどね(笑)。でも、いざ入ってみればみんな優しかったですし、一段と成長できた感覚があります。
https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20191018/985963.html
この時に厳しい指導を受けたことで、その後の強豪高校である興国高校への進学につながることを考えればここでの選択は人生の中で大きなターニングポイントだったのかもしれませんね。
高校生時代
高校は大阪府の強豪高校である興国高校に進学します。
毎年のようにJリーガーを輩出しており2022年の春にはJリーグのチームに4人の選手を輩出するほどの強豪高校で古橋亨梧選手は「意地でもついていって、意地でも抜いたる」という気持ちで頑張っていたようです。
高校では惜しくも選手権の出場は叶いませんでしたが、ここでの経験が後々大きな力になったのではないでしょうか。
当時の様子を以下のように語っています。
中学時代に高校のチームと対戦する機会があって、もちろん力の差がある中で、必死にもがいてやった結果、練習に呼んでもらったんです。高校時代はつらかったですね。
チームメイトはすでに大阪で有名だった選手が多く、僕は奈良でも名が知られていたわけではなかったので、経験や技術の差を痛感しました。
でも、根気よく使ってもらえましたし、周りに刺激されながら練習を頑張っていたので、いい経験になったと思います。
https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20191018/985963.html
大学生時代
興国高校を卒業後、上京して中央大学へ進学します。
中央大学では1年生からレギュラーとして活躍しており、全日本大学選抜に選出されるほどの選手となっていました。
順調な成長を遂げていましたが、3年生のころに怪我をしてしまいチームも2部リーグに落ちてしまいました。
この時の挫折が後々の成長の糧となったようです。
挫折というより、調子に乗ってしまった時期があるんです。大学1年の時、試合に出て、点も決め、全日本選抜に入れてもらったりもして。
「俺はできる」と思い込んでいた時期がありました。それで舞い上がっちゃって、自分のプレーを見失って、「何やっているんだ」と。
https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20191018/985963.html
大学3年時に怪我をしてしまった影響もあり、プロからのオファーがありませんでしたがFC岐阜の大木武監督に認められるとJ2のFC岐阜からプロ生活をスタートさせます。
その後ヴィッセル神戸を経て、セルティックに移籍し、日本代表として活躍する選手に成長をしました。
まとめ
今回の記事では古橋亨梧選手の学歴(経歴)についてまとめました。
- 小学校:生駒市立生駒台小学校
- 中学校:生駒市立光明中学校
- 高校:興国高等学校
- 大学:中央大学
まだまだこれから活躍が期待されている選手であるため多くの情報はありませんでしたが、今後の活躍次第では多くの情報が出てくることが期待されます。
今後の古橋亨梧選手の活躍に楽しみに待ちましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。