先月26日(2022年3月26日)、自身の誕生日でもあるこの日にフィギュアスケート選手として現役引退を発表した宮原知子さん。
宮原さんは4歳の時にスケートを始め、2014年から2017年の全日本フィギュアスケート選手権4連覇、平昌オリンピック女子フィギュアスケート日本代表選手として個人戦4位入賞など日本の女子フィギュアスケート界を牽引してきました。
そんな宮原さんは当時18歳で挑んだ2018年の平昌オリンピック前に、NIKKEI STYLEからの取材で「将来の夢」について尋ねられた際、「スポーツ医になることです。」と答えていました。
宮原さんはフィギュアスケート選手を引退した今でも、スポーツ医になることを志しているのでしょうか。
この記事では、宮原さんの引退後に志す夢を、これまでの学歴とともにまとめていきます。
宮原知子の医学への想い
宮原さんは両親が医師という家庭で育ちました。
両親の背中を見て育った宮原さんにとって、フィギュアスケート選手を引退した後は自分も医師を目指したいという夢は両親の影響が大きいのかもしれませんね。
スポーツ医を目指すことについては、自身がフィギュアスケート選手としての経験を活かしたいという気持ちが大きいことが想像できます。
宮原さんは中学3年生の頃、次のようにフィギュアスケート選手としての夢を語っています。
オリンピックに出場して金メダルを取ることです。
(引用:プレシデント Famil 公認サイト)
最終的にオリンピックでの金メダル獲得は叶わなかったものの、日本代表として平昌オリンピックに出場し、個人戦4位入賞という素晴らしい成績を残しました。
宮原さんの安定した演技は2014年から2017年の全日本選手権4連覇という偉業に結びつき、「ミス・パーフェクト」という最高のニックネームもついています。
このようにフィギュアスケート選手として躍動を続ける中、ひそかに持ち続けていたであろう「スポーツ医」の夢。
スポーツ選手を続けながら医師を目指すのはとても大変なことです。
宮原さんはフィギュアスケート選手として活躍する中で、どのような学生生活を送ってきたのでしょうか。
次は、その宮原さんの学歴をまとめていきます。
宮原知子の学歴まとめ!
- 大学:関西大学
- 高校:関西大学高等部
- 中学:関西大学中東部
- 小学校:立命館小学校
宮原知子の大学生時代:関西大学
宮原さんは2016年4月に関西大学文学部に入学し、平昌オリンピックに集中するため2017年4月から2018年3月までの1年間の休学を挟み、2021年3月に同大学を卒業しました。
関西大学は宮原さんの他にも、同じフィギュアスケート界で活躍した高橋大輔さん、織田信成さん、町田樹さんらの出身校でもあります。
宮原さんは小学5年生の頃にはすでに英検2級に合格しており、英語が得意なアスリートとしても知られていました。
宮原さんは大学で「英語文学」を学んできました。
宮原さんが学んでいる英語文学については次のような記事がありました。
昔の英米文学作品を原文で読みながら、日本語に翻訳されたものと比較していろんなテーマ分析をしているそうです。
自身が原文を読んだときに感じた印象と、翻訳されたものを読んだときに感じた印象が異なっている箇所に出会うと、言語の奥深さを感じ「翻訳って大変なんだな!」しみじみ思った・・・と。
(引用:ちょっと雨やどり)
フィギュアスケートの国際大会でも、通訳を介さなくても海外メディアのインタビューに答えていた宮原さん。
大学4年生の頃には「英語の楽しさを伝えたい」という思いから『宮原知子の英語術 スケートと英語のさとこチャレンジ』をKADOKAWAより刊行しています。
宮原さんは大学時代、スケートに対しても勉学に対しても日々努力を積み重ねてその力を伸ばしていたことが分かりますね!
宮原知子の高校時代:関西大学高等部
宮原さんは高校時代も真面目に勉学にも取り組み、周囲からの期待が大きくなるフィギュアスケートとの両立を図っていました。
そんな宮原さんは高校卒業時に、「五輪の魔物」論という論文を執筆しました。
宮原さんが「五輪の魔物」をテーマに論文を書いている理由について、当時の論文執筆途中のインタビューでは次のように答えています。
オリンピックはほかの試合とは違って、雰囲気が違ったり魔物がいるというのは有名な話なので、なぜそう言われるようになったのか、そういうものを感じないための対処法を知りたいと思いました
(引用:Number Web)
このことはフィギュアスケート界の先輩である織田信成や高橋大輔など多数の五輪経験者に取材してまとめたという。
また、取材から得た結論について、宮原さんは次のように答えています。
自分の中にいる、『自分で作り出してしまうもの』なんじゃないかなと思いました。まわりに余計に影響されたり、自分で勝手に過大な期待をしてしまったり。そうすることで生まれる緊張や力みが、より大きな舞台なのでより大きくなって『魔物』になってしまうんじゃないかと。難しいことだと思うんですけど、なるべく普段どおりに滑ったらいいんじゃないかと思います
(引用:Number Web)
常に目標に向かって、その先にある答えを探し求め努力する姿勢は、「ミス・パーフェクト」の名をもつ宮原さんの真骨頂ともいえるのかもしれません!
宮原知子の中学時代:関西大学中等部
宮原さんは中学受験をし、関西大学中等部に入学します。
ここでもアイススケート部に所属し、中学2年生の時には前日本ジュニアに史上最年少で優勝しました。
勉学に対してもまじめに努力する宮原さんが、フュギュアスケートでも日本一になってしまうなんて、まさに「文武両道」という言葉がとても似合いますね!
宮原知子の小学生時代:立命館小学校
宮原さんは両親の都合により幼少期から7歳(小学2年生)まで アメリカ合衆国テキサス州ヒューストンで生活していました。
帰国してからの宮原さんは4年生までは「英会話スクール」に通い、そこからは「茅ヶ崎方式英語会」で英語力を伸ばしていったそうです。
茅ヶ崎方式英語会は英語のニュースを聞いて書き取り(ディクテーション)の訓練をする学校です。
小学校の頃から、常に英語を伸ばす姿勢を磨いていたことが、国際大会での通訳を介さないインタビューの受け答えにつながっていたのですね!
まとめ
この記事では、宮原さんの進路について、宮原さんの学歴とともに紹介してきました。
宮原さんはフィギュアスケート選手としての引退した現在では「まずはたくさんアイスショーに出たい」と語っている一方、「今も医学への夢は持っています」と答えています。
宮原さんの学歴から分かる通り、とても真面目な性格で日々努力を重ねる姿勢はきっと「スポーツ医」の夢にもつながっていくと思います。
今後の宮原さんの活躍も応援したいですね!
最後までお読みいただきありがとうございました。