高卒プロ入り3年目にして東京ヤクルトスワローズ、不動の4番打者として活躍している村上宗隆さん
桁外れのパワーでホームランを量産し、次々と最年少記録を塗り替えています。
とてつもない才能の塊で、将来どんな選手になっていくのか、とても楽しみな選手です!
プロ入りしてから、すぐに結果を出し順風満帆の人生かと思いきや、高校時代では悔しい思いを経験しており、努力を積み重ねてきた努力家でもあります。
そんな村上宗隆さんの九州学院高校時代の成績と甲子園や捕手の経験から得たものについてまとめました。
村上宗隆のプロフィール
- 出身:熊本県熊本市
- 生年月日:2000年2月2日
- 身長:188cm
- 体重:97Kg
- 所属:東京ヤクルトスワローズ
村上宗隆の出身高校は九州学院
熊本県熊本市に生まれた村上宗隆さんは4歳の頃から兄の影響もあり、一緒に兄の野球の練習についていき野球を始めたそうです。
本格的に野球を始めたのは小学校4年生からで、軟式野球の託麻南小野球クラブに入団します。
そして中学生になると熊本東リトルシニアに入り、硬式野球を始めたそうです。
当時から負けず嫌いな性格で野球の練習が終わっても、一人グランドに残って納得いくまで素振りを繰り返していたとか。
そんな負けず嫌いな性格と日頃の努力で、中学生でありながら打球の飛距離が100mを超えていたそうです!
そして、努力の甲斐あって中学校2年生の時に九州選抜に選ばれた村上さんは、地元ではすでに有名になっていたとのこと。
そんな村上さんが高校進学で選んだのが、熊本県の野球強豪校の九州学院高校でした。
この九州学院時代の経験が、現在プロ野球で活躍している村上さんの土台を作ったと言っても過言ではありません!
そして、九州学院に入学してすぐ4番を任されるようになったそうです。
村上さんは高校時代「肥後ベーブルース」と呼ばれていたとのこと。
もともと野球センスが抜群だったようで、高校時代の恩師である坂井宏安監督は、高校時代の村上宗隆さんについてこのように語っています。
「私、村上が中学の時は一度も見てないんですけど、ウチに入ってきて初めて見た時に、あ、この子はプロに行くな……って思いましたね」
「体は大きいのに、力任せじゃない。バッティングにクセがないんです。バットの振り出しがスムースで、頭が股間の真上で動かない軸回転のスイング。それ以上にいちばん感心したのは、きちんとしたトスバッティングができること。高校1年で、村上みたいにトスバッティングの上手な選手は見たことないですね」
何度も甲子園出場をしている名門高校の監督にここまで言わせるほど、村上宗隆さんのバッティングセンスは努力によるものもあると思いますが、生まれ持った才能があったようですね!
村上宗隆の高校時代のポジションが捕手だった理由は?
村上宗隆さんは1年生の夏に4番ファーストで甲子園に出場しましたが、4打数無安打で一回戦敗退という悔しい結果に終わりました。
この試合後、村上さんは監督から捕手に転向することを薦められます。
村上さんはこの提案を自分が成長できるチャンスだと思い承諾したようです。
後日、村上さんを捕手に転向させた理由を坂井宏安監督は次のように語っています。
「中学時代からやっていたものもありますが、彼は記憶力がある。捕手のリードをやらせたら勉強になると思った。甲子園に出るチームはやっぱり捕手がいい。いい捕手の元なら投手もよくなるし、一緒に伸びていく。また、野手のみんなを見られる。監督もベンチから指示はするが、最終的には自分たちでやらないといけない。捕手も、ここは前進だ、ビッグイニングにならないようにしようとか、捕手なら即座に分かる。こっちの意をくむ力が村上にはある。そういうことができると思った。」
坂井宏安監督が村上宗隆さんについて語っている動画がこちらです。
この捕手の経験によりピッチャーとの駆け引きや配球を読む力が上手くなり、打撃の向上に繋がったようですね!
ヤクルトスワローズのコーチ陣も村上さんの選球眼が良いと言っているようで、それも捕手の経験から配球を読む力を向上させたことによって、選球眼に磨きがかかったということだと思います。
この、坂井監督からの捕手転向の提案がなければ、今の村上宗隆さんはなかったかもしれません。
村上宗隆の高校時代の成績は?甲子園出場など調査!
村上さんが甲子園に出場したのは、1年生の夏に出場した1回のみです。
その甲子園は初戦で石川県代表の遊学館と対戦し、4打数無安打で初戦敗退しています。
そして、2、3年生の夏の県予選大会も決勝まで勝ち進みましたが、2年連続で甲子園の常連校でもある秀岳館に敗れ、甲子園出場を逃しました。
村上さんの高校通算本塁打は52本ですが、同世代で現在、日本ハムファイターズに所属している清宮幸太郎さんが高校通算111本ですから、現在の村上宗隆さんの活躍から見ると少し少ないような気もしますね。
ただ、高校時代からとても冷静なところがあり、自分が打ってヒーローになるという考え方ではなく、チームのために何ができるかを考えることが高校時代からできたそうです。
そのため、高校通算のホームラン数も思ったほど多くないのかもしれません。
坂井宏安監督も村上さんの性格についてこのように語っています。
「バッティングに自信のあるヤツって、そういう時にボールとわかっていても打ちにいったりするじゃないですか。村上にはそれがなかった。自分のために打ちたい、打ちたいじゃない。ちゃんと四球もらって、チームの勝ちのためにチャンスを広げる。ホームランやアベレージより、打点のほうを大事にしてるようなヤツでしたから、今シーズン(2019年)の結果にも、決して満足してなかったですね」
これほどプロで活躍している村上さんも、1年の夏に甲子園に出場したのみで、高校時代は世間からはそこまで知られた存在ではなかったようです。
なぜなら、この世代は村上さん以外にも日本ハムファイターズの清宮幸太郎さんや広島東洋カープの中村奨成さんなど、甲子園を沸かせたスターがたくさんいたからです。
しかし、プロのスカウトはしっかり村上さんの素質を見抜いており、東京ヤクルトスワローズはドラフトで1位指名しています。
そして、甲子園を沸かせたスターよりも早くプロの世界で結果を出した村上宗隆さん。
高校時代に悔しい思いを人一倍してきたからこそ、努力を惜しまずに練習し、今があるのかもしれませんね!
まとめ
東京ヤクルトスワローズの不動の4番バッターである村上宗隆さんの高校時代の成績や甲子園と捕手経験から得たものについてまとめました。
この記事でわかったことをまとめると
・高校時代から野球センスは抜群で入学してすぐに4番に抜擢
・野球に関する頭脳を鍛えるために捕手に転向
・捕手を経験したことにより駆け引きや配球の理解が深まり打撃が向上
・意外にも甲子園出場は1回だけで初戦敗退している
村上さんの高校時代のエピソードを調べると1年からレギュラーでエリートなのですが、甲子園に1回出たものの、その後2年連続で決勝で敗れるなど挫折も味わっており、この経験が村上さんを作ったのだと感じました。
おそらく甲子園で順調に勝ち進んでいたら、捕手になることもなかったかもしれません。
今の村上さんは捕手の経験を生かし、選球眼や配球を読むことで安定した成績を残していますので、挫折は村上さんにとって必要な過程だったのでしょう!
そんな村上さんの活躍にこれからも期待したいと思います!