「FIBA バスケットボールワールドカップ2023」が開催され、日本の歴史的勝利が期待されていますね。
キャプテンを務める富樫勇樹選手は、日本で初の1億円プレーヤーとして注目を集めています。
そんな富樫勇樹さんの父親は、バスケットボール部の名監督として知られています。
今回は、富樫勇樹選手の父・英樹さんについて、調査しました!ぜひ、最後までご覧ください。
富樫勇樹の父・英樹はバスケ部鬼監督!
かつては、富樫勇樹選手の母校である、新発田本丸中学校のバスケットボール部の監督も務めていました。
中学校3年生のときには、全国中学校バスケットボール大会に出場し、親子で全国制覇を成し遂げています。
英樹さんは、新潟県新発田市立本丸中学校を2度、全国制覇に導いており、開志国際高校でも、創部5年目にインターハイを制しています。
さらに、U-16日本代表のヘッドコーチにも就任しており、名監督として知られています。
新発田市立本丸中学校の監督は16年間つとめ、2014年からは開志国際高校のバスケットボール部の監督となりました。
富樫英樹さんは、選手に自ら考える能力を身に付けさせることを、常に重要視していたそうです。
テクニックの指導だけではなく、選手の人間力も成長させることが、勝利のカギとなっています。
富樫英樹さんの指導方法により、彼が率いるチームは全国大会で優勝することができました。
選手たちは、自己判断力を高め、自分たちでプレーすることの重要性を学んだようです。
富樫勇樹選手は、中学時代、父が先生であり監督という立場になってから、うまく区別して接することができなかったそうです。
父親から部活動で叱られたときは、自宅では背中を向けてご飯を食べることもあったそうです。
父親との関係は決して悪くなく、当時、富樫勇樹さんは、人前であまり話すタイプではなかったそうです。
父・英樹も低身長?
富樫勇樹選手は、身長167cmと、バスケットボール選手としてはかなり小柄です。
NBAの平均身長が198cmで、Bリーグも平均身長191cmになるので、身長の面ではハンデキャップがあると言えます。
しかし、その身軽さを活かして、予測不能なパスやドリブルを繰り出します。
富樫勇樹選手に憧れてバスケットボールを始めた選手は多く、身長のハンデがあっても、世界で活躍したい!という選手も多いようですね。
現役時代のポジションは、富樫勇樹選手とおなじポイントガードです。
同じポイントガードだからこそ、低い身長を活かしたプレーを指導することができたのですね。
富樫勇樹の父・英樹の学歴
富樫英樹さんは、新潟県立村上高等学校出身です。
この高校は、バレーボールや野球などが強豪校で、スポーツに力を入れている学校です。
富樫英樹さんは、新潟県立村上高等学校を卒業後、日本体育大学に入学しています。
日本体育大学も、スポーツが盛んな大学で、英樹さんはポイントガードとしてバスケットボール部に所属していました。
しかし、人数が多くライバルに勝てなかったことから、指導者を目指しはじめます。
かつてはプロの道を目指していたものの、夢を諦めざるを得ませんでした。
そんな中、息子の富樫勇樹さんはアメリカに留学し、モントロス・クリスチャン高校を卒業しています。
この高校は、アメリカ・メリーランド州ノースベセスダにあり、バスケットボールの強豪校として有名です。
言葉の壁を乗り越えてバスケットボールで活躍した富樫勇樹さんは、高校卒業後に日本に帰国し、プロのバスケットボール選手となりました。
父親の富樫英樹さんも、富樫勇樹さんの成功を祝福していることでしょう。
バスケット一家だった
富樫勇樹さんがバスケットボールに目覚めたのは、まだオムツをつけているときだったそうです。
富樫選手は、まだミルクを飲んでいた頃から、室内用のゴールめがけて小さなボールを投げていたという。叱られるまでボールを床に打ち付け、試合もテレビで好んで見るような子だった。
朝日新聞デジタル
0歳児から、バスケットボールに目覚めるというのは、天性の才能だったのかもしれません。
また、富樫勇樹選手の母・恵子さんも、元バスケットボール選手で、大学までプレーしていたそうですよ。
両親ともに元バスケットボール選手で、姉・早紀さんと妹・南さんも、バスケットボールをしていたそうです。
プロ選手ではなく、ミニバス選手として活躍していたようですね。
富樫家は、正真正銘のバスケットボール一家だったのですね。
まとめ
今回は、富樫勇樹選手の父・英樹さんについて、紹介しました!
富樫勇樹選手の父・富樫英樹さんは、バスケットボールの名監督で、中学や高校を全国制覇に導いた経験がありました。
中学時代は富樫勇樹選手の指導もしていたようで、選手に考えさせる指導法で、多くの選手を輩出しています。
今後の情報にも注目ですね。最後までお読みいただき、ありがとうございました。