千葉ロッテマリーンズに所属する髙部瑛斗選手。
3人兄弟の次男で、父親が元高校球児だったため3人ともスポーツマンを意識した生活を送っていました。
お兄さんはイケメン美容師として活動している一方、弟は白血病のため2016年に亡くなっています。
今回は髙部選手の兄弟について調査しました!
髙部瑛斗のプロフィール紹介
- 名前:髙部瑛斗
- 生年月日:1997年12月11日
- 出身地:神奈川県高座郡寒川町
- ポジション:外野手
- 所属チーム:千葉ロッテマリーンズ
髙部瑛斗外野手は千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手です。
お父さんから「運動会の100m走で最下位になったら罰として野球を始めなさい」と言われて本当に最下位になってしまったことが野球を始めたきっかけ。
東海大甲府高校では甲子園通算3試合に出場し、13打数4安打1打点。
その後進学した国士舘大学では、1年春から外野のレギュラーとして活躍し、東都大学2部リーグながら1年秋から3年春まで打率3割越えを記録し、4年の春には2部通算最多安打108本を抜いて最終的には通算129安打を記録。
その活躍が認められ、2019年度ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから3位指名を受けて入団。
3年目の2022年に初の開幕スタメンを果たすと、レギュラーに定着し44盗塁を記録。
自身初のタイトルである盗塁王を獲得し、ゴールデングラブ賞も受賞しました。
「アピールポイントは走力です」と入団会見でも語ったように50m5秒8の俊足の持ち主。
とても運動会で最下位になったとは思えないですね(笑)
バットコントロールも巧みで左右に打ち分けるセンスを持ち、遠投105mの強肩も兼ね備える注目の若手選手です。
髙部瑛斗の兄はイケメン美容師、弟は白血病で他界
髙部選手は3人兄弟の次男です。
兄・寛斗
お兄さんは1歳上の寛斗さん。
渋谷で美容師をされているのですが、イケメンですね~。
髙部選手はもちろん、ロッテの同僚選手などのヘアスタイリングを担当したこともあるそうですよ。
弟・春斗
髙部選手が甲子園出場を決めた時、入院していた3男の春斗さんが奇跡的に一時退院。
春斗さんはご両親に「甲子園に行ってきて」といい、寛斗さんも「春斗は俺が見ているから」と送りだしたそうです。
春斗さんがテレビで髙部選手を応援している姿を見て、「今まで悪夢のような日々だったけど、これが平和なんだな」と感じたそうです。
寛斗さんももともとは同じ東海大甲府高校で野球をされていました。
自分、そして病気の弟には叶えることができない甲子園出場という夢を、髙部選手に託したのかもしれませんね。
春斗さんは髙部選手の3歳年下になります。
幼いころは一緒にいることが多かった2人ですが、髙部選手は高校時代は寮生活だったため、家族と離れて暮らすことに。
2先生になると部のレベルの高さについていけず、「早く引退したい」とまで思うほどに挫折を味わったそうです。
そんな時に、弟の春斗さんが学校で倒れ病院へ運ばれました。
そして告げられた病名は「急性白血病」。
弟の病状にショックを受け、放射線治療で苦しむ姿を目の当たりにして、野球を辞めて看病に専念しようとも考えた髙部選手に向かって春斗さんはこのように告げます。
「瑛斗が野球しているところが見たい。ホームランを打つところを見たい。でも、無理か。球場に見に行けない」
その言葉に奮い立った髙部選手は春斗さんと2つの約束をします。
「春斗、見せてやるよ。俺、甲子園に出る。レギュラー取って、甲子園でヒットを打つ。それならテレビで見れるだろ」と宣言し、その上でプロを目指すことを春斗さんに約束しました。
それまでは「頑張るのはダサいな」とも思っていた髙部選手ですが、病床にいる弟との約束を果たすため、本気で野球に取り組み白血病発覚から半年後にはチームの中心選手に。
約束通り甲子園出場を果たします。
そしてもう1つの約束を果たすべく、国士舘大学で腕を磨きましたが春斗さんの病状は回復することなく、わずか16歳でその短い生涯を閉じました。
髙部選手は「はる(春斗)にはたくさんの勇気と頑張る強さをもらい、僕にいいきっかけを何度も与えてくれました。ありがとう」と感謝の言葉を語っています。
まとめ
今回は千葉ロッテマリーンズの髙部瑛斗選手のイケメンお兄さんや、弟との感動エピソードをご紹介しました。
髙部選手が頑張る理由の1つとして、亡き弟との約束があるんですね。
これからも多くの人に感動を与えてほしいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。