今回は、武尊選手との世紀の対決でも話題となった那須川天心選手の気になる学生時代のエピソードについて調べました。
若くして成功を収める格闘家・那須川天心選手の学生時代について深掘っていきます。
那須川天心の高校は県立松戸南高校定時制!
那須川天心選手は地元の千葉県松戸市にある県立の共学校、松戸南高校の定時制に通っていました。
那須川天心選手は、当時から格闘技に心血を注いでおり、格闘技の練習に専念できるように定時制の高校への進学を決めました。
そこでは、午前中に学校で勉学に励み午後からは格闘技の練習や試合をこなすような毎日を送っていたようですね。
その生活の甲斐もあってか、那須川天心選手は高校1年生だった2014年7月にプロのキックボクサーとしてプロデビューを果たしました!
しかも当時のRISEバンタム級現役ランカーに1R・KOで勝利を収めています。
そこから破竹の勢いで連勝を重ねていった那須川天心選手は高校2年生時にRISEバンタム級タイトルマッチに挑戦し、この試合も2R・KO勝利を収め史上最年少で王座を獲得!
高校2年の終わりには、世界タイトルも獲得しキックボクサーとして確固たる地位を築いていきます。
もちろんですが、高校生時代もキックボクシングルールで公式戦無敗を継続しています。もはやこの頃から高校生ファイターという枠には収まらず、プロのキックボクサーとして抜群の存在感を放つようになっていきました。
一方で、格闘技以外の私生活では普通の高校生らしい生活を送っていたようです。ちなみに高校は定時制であったため、4年間で卒業しているようですね。
自分は格闘技をプロとして本気でやるために
引用元:Ameba blog
四年生の高校を選びました。
最初は普通科の高校が羨ましいと思ったり、めちゃくちゃ楽しそうで充実してるな〜と思ったこともありました。
けれど今は違います。
四年間通ったから出来たこと、成し遂げた事が沢山あります。
那須川天心の中学校は松戸市立栗ヶ沢中学校!
那須川天心選手は地元の千葉県松戸市にある公立校・栗ヶ沢中学校に通っていました。
中学時代はすでに極真空手からキックボクシングに転向した後で、実際にアマチュアのリングで戦い始めている時期でした。キックボクシングに転向後もその強さは輝きを増していきます。
中学2年生時には、第1回藤原敏男杯というキックボクシングの全国大会に50kgで出場し優勝を果たしました。
続く翌年も藤原敏男杯に55kgで出場しこちらも優勝し前年の50kgからの連覇となりました。
キックボクシングに転向した後の那須川天心選手は特定のジムに所属せず、父親との二人三脚でトレーニングを行い週一程度で他のジムへ出稽古に通うという体制で練習していました。
多分100戦以上していますが、2、3回くらいしか負けていないです。
TOKYO FM
と、後のインタビューでこたえていますね。
実際には、中学3年生までのアマチュア時代の成績は、105戦99勝5敗1分なんだとか!
この頃から、かなり強かった事がわかりますね。
那須川天心の小学校は松戸市立栗ヶ沢小学校!
那須川天心選手は地元の千葉県松戸市にある公立校・栗ヶ沢小学校に通っていました。
父親が、当時は弱虫だったという那須川天心選手に極真空手を勧めたことがきっかけで、5歳の時に極真空手を始めています。
当時の那須川天心選手は空手の稽古が嫌いで、しばしば道場から逃げ出すこともあったと言います。
そんな天心さんが空手を続けていた理由は、
(道場に)学校の友達以外の同世代の子がいたので“友達ができた!”っていうことで楽しくなりましたね。
TOKYO FM
と、友達ができた事だったそうです。
幼稚園の時に一度出場した試合でボロ負けしたことで、父のトレーニング魂にスイッチが入り、那須川天心選手の格闘技中心の生活が始まります。この時から毎日マンツーマンのトレーニングが始まったそうです。
小学校4年生の時に全国大会に出場し優勝を飾り才能の片鱗を見せると、続く小学校5年生時には極真空手ジュニア世界大会に出場しそこでも優勝を果たしました。
同じく小学校5年生時にテレビで見たキックボクシングに憧れ、極真空手からキックボクシングに転向しています。
ちなみに、こちらは那須川天心選手が小学3年生の時のJAPAN CUPでの試合です。貴重な映像ですね!
まとめ
今回は日本キックボクシング界の至宝・那須川天心選手の学生時代に焦点を当ててみました。
- 高校:県立松戸南高等学校
- 中学:松戸市立栗ヶ沢中学校
- 小学校:松戸市立栗ヶ沢小学校
経歴を振り返ってみるとやはり幼少期から格闘技に集中して取り組んできたことがわかり、格闘エリートっぷりが目立っていたように感じました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!