川崎フロンターレでのプロ一年目から強いインパクトを残していた三笘薫選手
海外のクラブチームや日本代表でも活躍をしており、卓越したドリブルでファンを魅了しています。
こちらの記事では、そんな三笘選手の学歴(大学、高校、中学、小学校)や筑波大学時代のエピソード、サッカーを始めたきっかけなどをまとめました。
三笘薫のプロフィール
- 名前:三笘薫(みとま かおる)
- 生年月日:1997年5月20日
- 出身地:神奈川県川崎市
- 身長:178cm
- ポジション:ミッドフィールダー・フォワード
- 所属:筑波大学→川崎フロンターレ→ブライトン(ロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズ)
三苫薫は筑波大学出身!
三笘薫選手は筑波大学のサッカー部出身です。
everyに筑波大時代の三笘!!! #frontale pic.twitter.com/pKtzmbqF5G
— moi (@ofuroskii__14) August 20, 2021
大学入学前からプロへの道も進められていたといいますが、なぜ筑波大学への進学を決めたのでしょうか?
その1つの理由として「大学サッカーの4年間でもう一度自分を鍛えなおしたい」という想いがあったそうです。
その大学で”鍛えなおす”という選択をすることになったのは先輩の存在がありました。
その先輩が、学年が1つ上となる三好選手と板倉選手です。
2人とも三笘選手の先輩ということで、一足先に川崎フロンターレのトップチームでプレーしていました。
その2人の存在があったからこそ、プロでプレーするにはまだ実力が足りないと感じたようです。
そんな”鍛えなおす”という想いを持って選んだのが筑波大学ということになりますが、では、なぜ筑波大学を選択したのでしょうか?
三笘選手は、一度関東のリーグで筑波大学が試合しているところを観たことがあり、そのチームスタイルに惹かれたのが1つめのきっかけだといわれています。
当時、筑波大学といえば、パスをつなぐサッカー、そして低学年の選手をよく使うといった傾向がありました。
筑波大学の練習に参加を自ら志望した三笘選手は、練習参加後に筑波大学でサッカーをしたいという想いがより強くなります。
また、筑波大学のサッカー部監督、小井土正亮さんも三笘選手の練習参加後すぐに、三笘選手の進学を望んだようです。
そして、大学時代の三笘選手の卓越した能力に関しても話していました。
当時は2部リーグに所属していたといいますが、周りの選手も上手い中で存在感を示していた三笘選手
第97回天皇杯の2回戦、ベガルタ仙台との試合では驚異的なドリブルからゴールを決めています。
日本代表などで活躍する才能は、その頃から見抜かれていたのでしょうね!
そして、2022年7月3日に結婚を発表しましたが、なんと奥さんは大学時代から交際していた方だそうです!
三笘薫の学歴(高校、中学、小学校)は?
三笘薫の出身高校は?
三笘薫選手の出身高校は、川崎市立橘高校です。
スポーツに力を入れている学校のようですが、偏差値も高い学校として人気のようです。
三笘選手はU-18川崎フロンターレに所属していたため、学校の部活動には入っていませんでした。
【 プリンスリーグ関東 川崎フロンターレU18vs昌平高校】
— ネムヲ (@nemuwo510) June 27, 2015
試合終了 2-0
得点者:藤井、三笘
フロンターレ勝利\(^o^)/ pic.twitter.com/dXNLYPL3GY
この高校生時代にも三笘選手は注目を集めています。
2015年に行われた川崎フロンターレ対アルビレックス新潟の練習試合に出場していた際に、三笘選手は高校2年生ながらに出場をしていました。
その時のドリブルが高校生離れしたもので、会場からは驚きの声が上がったそうです。
三笘薫の出身中学は?
三笘薫選手の出身中学は、川崎市立有馬中学校です。
生徒数が800人を超える学校で比較的大きな中学校のようです。
この時代も学校の部活動ではなく、川崎フロンターレのジュニアユースチームに所属していました。
三笘選手は、その時から他の選手と比べても類まれなる才能を見せていたようです。
また、その当時特に上手い選手の揃っていたガンバ大阪と対戦した時には、三笘選手のプレーが際立ち、ガンバ大阪の監督から「ここまで崩されたのはフロンターレが初めてだ」と言わしめるほどだったそうですよ。
三笘薫の出身小学校は?
三笘薫選手の出身小学校は、川崎市立鷺沼小学校です。
小学校時代には、さぎぬまSCと川崎フロンターレU-12というチームに所属していました。
この川崎フロンターレで指導をしていた髙﨑康嗣さんに大きな影響を受けたと三笘選手はインタビューで答えていたこともあります。
“世界を意識してプレーをするように叩き込まれた”とのことで、サッカーに対する意識も大きく変わったのかもしれませんね。
また、小学6年生の頃にはキャプテンにも任命され、プレーだけでなく周りをまとめるといった経験も大きかったのでしょう。
当時の監督、髙﨑康嗣さんが「ドリブルは当然、パスをさせても天下一品だった」と語ることから、小学生の頃に三笘選手の武器であるドリブルは磨かれていたのですね。
そして、この小学生時代に中村憲剛さんとの感慨深い一場面が。
当時から川崎フロンターレのトップチームや日本代表でも活躍していた中村憲剛さん
その横で手をつないで入場をしているのが当時小学生の三笘選手です。
この2人が同じピッチでプレーしていたこともそうですが、日本代表で活躍する三笘選手へのインタビューを中村憲剛さんがするという、なんとも胸が熱くなる一場面です。
三笘薫がサッカーを始めたきっかけ
三笘薫選手が幼い頃からサッカーの才能を周りに示していたことがわかりましたが、まずサッカーを始めたきっかけは何だったのでしようか?
三笘選手にはお兄さんがいるのですが、そのお兄さんがサッカーをしていた影響を受けてサッカーを始めたようです。
始まりは他のサッカー少年たちと同じようだったんですね。
ただ、三笘選手のご両親はサッカーをしていたわけではないようですが、父親が陸上競技、母親がバレーをしていたということで運動神経がよかったのかもしれません。
実際に、幼稚園の頃からサッカーのスクールに通い始めた三笘選手ですが、幼馴染でなでしこジャパンでも活躍する三浦成美さんによると、三笘選手は幼少期から技術がダントツだったそうです。
今よりボランチのようなイメージがあったとも話しているため、ドリブルの他にパスも上手なのかもしれませんね!
ご家族とも幼い頃からずっと仲がいいとのことで、そういった関係も三笘選手の支えになっているのでしょう。
まとめ
今回は、三笘選手の学歴やサッカーを始めたきっかけについてまとめました。
サッカーを始めたきっかけから現在までを追う中で、幼い頃から三笘選手の大きな可能性が見られ、それを努力や周りのサポートで伸ばしてきたのだということがわかりました。
勉学のこともしっかり考えている三笘選手なので、そういった性格の部分もプラスに作用しているのかもしれません。
まだまだ伸びしろのありそうな三笘選手なので、さらなる活躍に期待したいですね!