河村勇輝選手はBリーグの横浜ビー・コルセアーズに所属するプロバスケットボール選手。
日本代表にも選出されており、パリオリンピックに向けて奮闘中です。
大学進学後、中退してプロ契約を結んでいます。
中退してまでプロ入りを選択した理由は何だったのでしょうか。
高校時代の経歴から、大学進学の選択、プロ入りして才能が開花した経過まで調査しました。
河村勇輝が大学中退した理由は?
河村選手は高校卒業後、東海大学に進学しましたが、2年生で大学を中退することを決断しています。
大学中退した理由は、オリンピック出場を目標として設定したことが大きな要因です。
この時点で2年後に迫っていたパリオリンピックに出場するには、まず日本代表として選出される必要があります。
そのためには、プロ契約して大学よりレベルの高い日本のトップリーグであるBリーグで経験を積み、レベルアップする必要があると判断したためです。
河村選手は高校3年生のときから大学2年生まで、Bリーグの「特別指定選手」という制度を利用して、学生シーズンがオフの時期にBリーグでプレーをしていました。
- 2019-2020シーズン(高校3年):三遠ネオフェニックス
- 2020-2021シーズン(大学1年):横浜ビー・コルセアーズ
- 2021-2022シーズン(大学2年):横浜ビー・コルセアーズ
この期間、プロで活躍する選手のなかで対等かそれ以上の活躍を見せていました。
2019-2020シーズンには高校生として参戦しながら、新人賞ベスト5に選出されるという快挙を成し遂げます。
日本のトップリーグを経験したことにより感じたものがあったのだと思います。
通用することと、もっとレベルアップしなければいけないことが明確になり、この先の決断に至ったのではないでしょうか。
結果、2022年の3月に今シーズン(2021-2022)以降の特別指定選手として横浜ビー・コルセアーズの選手として活動すること、翌シーズン(2022-2023)に横浜ビー・コルセアーズとプロ契約することが発表されました。
結果的には中退となった大学生活ですが、高校から大学進学を選んだ理由はどのような経緯だったのでしょうか。
高校時代から福岡第一高校で輝かしい実績を残していましたので、
「大学には行かずプロに行った方が成長できるのでは」という意見も多くみられました。
河村選手の憧れの選手の1人である、富樫勇樹選手からも天皇杯で対戦した際に「高卒でプロになってほしい」と声をかけられたそうです。
しかし、高校時代と異なるスタイルのチームに在籍することでプレーの幅をひろげたり、バスケットIQを学ぶことを考え進学を選んだとのことです。
また、両親の影響もあったようです。
河村選手の両親は2人とも教師なので、将来的には学校の先生になることを考えていたようです。
そのため、大学で教員免許を取りバスケ選手引退後は教師になることを想定していたみたいですね。
大学進学直後のインタビューでは、「東海大学に進学したことは100%間違いではなかった」と語っています。
結果的には教師の道を絶って、プロバスケ選手の道を選んだということになります。
大学の2年間はコロナの影響もあり、イレギュラーなシーズンが続きましたが、その分フィジカルトレーニングやバスケIQを学ぶことができたようです。
1年生のときからプレータイムを勝ち取り、インカレ優勝に貢献。
2年生では、リーグ戦優勝、インカレは準優勝という結果を残しました。
この2年間も無駄ではなかったと語っており、東海大学の陸川監督のもとでバスケIQを高めることや、人間としての厚みを広げるなどの成長はできたと感じていたようです。
満を持してプロ契約し、その活躍が認められ日本代表にも定着するようになりました。
元女子バスケットボール日本代表であったトム・ホーバスHCが男子日本代表のHCになり、ホーバスバスケスタイルが河村選手にフィットしているようで、今やなくてはならない存在になっています。
このまま怪我などなくいけば、河村選手の想定通りパリオリンピックの代表選手になれそうですね。
河村勇輝は高校時代からプロ入りで才能が開花!
河村選手は6歳から父親の影響でバスケを始め、地元山口県の柳井中学校を経てバスケの名門福岡第一高校に進学しています。
福岡第一といえば近年の全国大会常連で、インターハイ優勝4回、ウィンターカップ優勝4回を誇る超バスケ強豪校です。
河村選手は、中学時代から全中ベスト16を経験するなどの活躍はみせていましたが、当時はプロ選手はもちろん、高校・大学でもトップレベルでプレーすることをイメージしていなかったようです。
当時170cmに満たなかった身長がその要因の一つであったようで、強豪校からの誘いもほとんどありませんでした。
しかし、福岡第一バスケ部の井手口孝コーチは河村選手の才能を見抜き、スカウトされ入学に至りました。
ただ、当時の井手口コーチ自身のなかでも河村選手の評価はそれほど高くなく、後にチームメイトとなる小川麻斗選手の2番手だったようです。
河村選手もプレースタイルの似ている小川麻斗選手が福岡第一に決まったことを知り、他の高校への進学とも悩んだみたいです。
結果的に福岡第一に進学し、1年生からプレータイムを獲得します。
2年生のときにウィンターカップ優勝、3年生のときにはインターハイ優勝、ウィンターカップ連覇の2冠の立役者となります。
高校の部活引退後に、特別指定選手としてB1チームの三遠ネオフェニックスに加入し以下の成績を残します。
出場 試合数 | 平均 出場時間 | 平均 得点 | 平均 アシスト数 | 平均 スティール数 |
11 | 22.2 | 12.6 | 3.1 | 1.5 |
高校生ながらB1チームで通用することを証明し、才能開花が加速しました。
ちなみに河村選手は、バスケだけでなく勉強もでき、福岡第一では「アスリートコース」ではなく国公立大学への進学を目指す「進学コース」に在籍していました。
井手口コーチに「勉強一本に絞っていれば東大も狙えた」と言わせるほどの学力の持ち主だったそうです。
もちろんバスケできつい練習もあったでしょうが、文武両道を貫いていたというところは河村選手のもう一つのストロングポイントでしょうね。
このような頭のよさがバスケIQを高め、プレーにも良い影響を与えていたのではないかと思います。
河村勇輝のプロフィール
- 名前:河村勇輝(かわむら ゆうき)
- 生年月日:2001年5月2日
- 出身地:山口県柳井市
- 身長:172cm
- 経歴:福岡第一高校 – 東海大学(中退) – 横浜ビー・コルセアーズ
まとめ
今回は、河村勇輝選手の大学中退の理由と高校時代からのプロ入りで才能が開花した経緯を紹介しました。
大学中退の理由は、オリンピック出場を目標として設定したことでした。
ただし、大学進学を後悔している訳ではなくポジティブに捉えているようでした。
高校はバスケ強豪校の福岡第一高校で、このころから才能の片鱗を見せており、在学時にBリーグの舞台で活躍を見せていました。
ここ最近の国際試合では日本代表に必ず選出されており、目標として掲げたオリンピック出場が現実味を帯びてきています。
172cmという身長ながら、世界で通用する姿を見せてくれると、同じサイズで悩んでいる子供たちに希望を与えてくれますね。
今後のさらなる活躍に期待します。
以上、最後までお読みいただきありがとうございました。