比江島慎選手といえば、プロバスケットボール選手で日本代表する選手の1人です。
エースと呼ばれている選手の1人で、Bリーグ宇都宮ブレックスの選手です。
華麗なステップと甘いマスクで人気の選手ですね!
今回は比江島慎選手の家族について調査し、素敵なエピソードがわかったのでご紹介していきます。ぜひ、最後までご覧ください。
比江島慎の家族は3人
比江島選手のお母様は、比江島選手がプロバスケットボール選手になることを、とても応援している方でした。
バスケグッズ販売でも有名なステラリアンとも関わりがあるとのことです。
比江島慎の母・敦子は急死していた

母・敦子さんの死因は、突発的な心臓発作で、急死されていることがわかりました。
『突然の母の死』という悲しみを抱えながらも、比江島選手はコートに立ち続けていました。
その結果、日本のエースへと成長を遂げ、MVPにも輝いています。
ワールドカップ出場も比江島選手の活躍があってこその結果、44年ぶりのオリンピック出場の切符獲得にも貢献されています。
母・敦子さんと、生前には「オリンピックに出場する」「オリンピックに連れていく」という約束を交わしていたそうです。愛する息子さんの活躍する姿をずっと観ていたかったことでしょうね。
「お母さんのパワーはすごいです」。一度も勝ったことがない強豪チームを下し、全国大会出場の切符をつかむと、勢いそのままに全国優勝を達成した。キャリアで多くの日本一を経験した比江島は照れながら振り返る。
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比江島慎の母・敦子は気配りが出来る人
とにかく人のためになんでもやる人で、自分のことは二の次で、自分を削ってでも人のために行動されていたとのこと。
子供の頃の比江島選手から見ても、そのように感じるのですから、相当だったんでしょうね。
しかし、比江島ご兄弟にとっては、厳しい母でもあったそうです。
なんと、手伝いをしなければ、ご飯を食べさせてくれなかったということも!
「お母さんはめちゃめちゃ厳しかったですよ。お手伝いをしないと、ご飯を食べさせてくれないんです。皿洗いに掃除、洗濯、それに買い物も。お母さんは仕事が大変で、家に帰って来たらもう疲れていたので、ご飯以外は僕らがやっていました。気づいたら、兄ちゃんと交代で当番を決めてやっていました」
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3人家族であるからこそ、働かざるもの食うべからず。
協力して生活しないといけないと、敦子さんご自身、心を鬼にされていたんでしょうね。
しかし、子供がやりたいことに関しては、どれだけ自分が忙しくても駆けつけて、サポートして…と、愛情がとっても伝わってくる子育てですね。
見習わないと…と感じます。
比江島慎の母・敦子は経営者
比江島選手には3歳年上のお兄さんがいます。
お兄さんの後を追ってバスケを始めた比江島選手を暖かく見守りたい支えていたのが、母・敦子さんでした。
幼くして父親を亡くし、母・敦子さんは身を粉にして働き2人の子どもを育てたそうです。
そして忙しい中でも、比江島選手の試合は欠かさず応援にかけつけていたそうです。カッコいいお母さまですね!
比江島慎の兄・章と繋ぐ母の想い

比江島選手はお兄さんを追いかけるようにバスケをはじめたそうです。
休みの日には、しょっちゅうバスケを一緒にやっていたそうですね。
お兄さんの前では、負けず嫌いだったんだそうです。可愛いですね!
ただ、思春期の頃になると多少のすれ違いがあったそうです。
同じ競技をしているからこと、お互いに嫉妬してしまう感情が生まれても仕方ありません。
しかし、今ではお互いを尊敬しあい、仲良しの兄弟になっています。
そして急逝した母・敦子さんに代わって、それまで働いていた会社を辞め、ステラリアンを継いで、比江島選手のサポートもされています。
2020年からは比江島選手が会社代表を務めており、兄弟二人三脚で母の意思を継いでいるのが素敵です。
比江島慎の父の現在は?
母・敦子さんが比江島兄弟を女手一つで育てているので、小学校前後くらい別れたのでしょうか。
詳細な時期は不明でした。
テレビで比江島選手の活躍を楽しみ観ていたら嬉しいですね。
まとめ
比江島選手のご家族について調べました。
結果、幼いころに母・敦子さんは比江島選手の父親と別れて、女手一つで育て上げたことがわかりました。
比江島選手には3つ年上の兄がいて、母・敦子さんが設立した会社を、母亡きあとに会社を継いで比江島選手をサポートされていることもわかりました。
厳しくも愛情深い母・敦子さんに育てられた比江島兄弟は、成長してお互いを支え合い、絆の深いご兄弟であることがわかりますね。
今後も比江島選手の活躍を応援していきます。
最後までお読みいただきありがとうございました。



