バレーボールワールドカップ2023が開幕しますね。パリオリンピックへの切符をかけた、熾烈な争いが繰り広げられそうです。
チーム最年長・35歳の深津旭弘選手ですが、オールドルーキーとして注目を集めています。
今回は、深津旭弘さんの兄弟や生い立ちについて、調査しました!ぜひ、最後までご覧ください。
深津旭弘は三兄弟で弟(貴之・英臣)もバレーボール選手!
深津三兄弟は、幼少期からとても仲が良く、何をするにも3人一緒だったそうですよ。
また、中学、高校、大学と、ずっと同じ進路だったそうで、すごいですよね。
ただ見た目に付いては、兄弟なのにあまり似ていないと言われているようです。
次男:深津貴之(ふかつ たかゆき)
深津旭弘さんの1歳年下の次男・貴之さん。
貴之さんだけが、ポジションがセッターではなく、スパイカーとして活躍していました。
性格は、三兄弟の中で、一番優しいそうですよ。
東海大学を卒業後、「豊田合成トレフェルサ」でアウトサイドヒッターでご活躍していましたが、2015年に現役を引退しています。
現在は、ウルフドッグス名古屋(豊田合成)のコーチングスタッフとして、後進の育成をしています。
現役引退理由は明かされていませんが、トレフェレスに入団後、あまり活躍できなかったことが考えられます。
2022年4月には、日本代表のコーチとして選出されました。
三男:深津英臣(ふかつ ひでおみ)
深津旭弘さんの3歳年下の三男・英臣さん。
現在、パナソニックパンサーズに所属し、セッターとして活躍しています。
兄たちの影響から、小学2年生のときにバレーボールを始め、中学時代には全国中学選抜に選ばれました。
星城高校時代は春高にも出場し、全日本ユースの監督本多洋監督から、「3兄弟の中で一番素質がある」といわれています。
東海大学時代は、全日本インカレで優勝し、セッター賞、サーブ賞を受賞しています。
2013年に、パナソニック・パンサーズに入団し、日本代表にも、2013年~2021年まで選ばれています。
2017年5月には、全日本男子のキャプテンもつとめていました。
深津旭弘の生い立ち
深津旭弘さんは、小学5年生のときに先生に誘われたことがきっかけで、バレーボールを始めました。
豊田 ジュニアバレーボールという小中学生男女の教室に通っており、兄に続いて次男の貴之さん、三男の英臣さんも所属しました。
小学校~中学校ではスパイカーだったのですが、中学生のときに身長が伸びなくなり、「しんどい」と思うようになります。
高校はセッターをさせてもらえることを条件に、星城高校に進学しました。
そこでは、セッターの技術を磨きつつ、アタッカーもこなしていました。
星城高校時代には、春高バレーと国体に出場し、3位入賞を果たしています。
東海大学時代はキャプテンも務め、2009年には東海大学バレーボール部初のシーズン5冠を達成しました。
全日本インカレでは、最優秀選手賞とセッター賞を受賞し、JTサンダーズ(JTサンダーズ広島)へ入団します。
日本代表にも選ばれ、国際大会でも活躍しました。
しかし、JTサンダーズがチームの若返りを求めるようになり、シーズン途中から出場機会を失います。
当時33歳で、引退か移籍か悩んでいたところ、堺ブレイザーズからオファーがあり、2021年に移籍することを決意しました。
そして、2022年には日本代表に再選出され、堺ブレイザーズから東京グレートベアーズに移籍します。
深津旭弘の両親の仕事は?
深津旭弘選手のご両親は、自営業を営んでいるそうです。
なんのお仕事かは不明ですが、両親はバレーボール経験者ではないそうですよ。
試合を応援しに来たり、全体的な所を見て、監督に助言するそうですよ。
商売人の苦労を知っているので、そのアドバイスはいつも的確なんだとか。とてもありがたい存在なんですね。
まとめ
今回は、深津旭弘さんの兄弟や生い立ちについて、紹介しました。
深津旭弘選さんは三兄弟そろってバレーボールをしており、現在次男の孝之さんは引退して日本代表のコーチをつとめています。
両親は自営業でバレーボール経験者ではありませんが、小学校の先生に誘われたことがきっかけで、バレーボールをはじめたようです。
今後の情報にも注目ですね。最後まで御覧いただきありがとうございました。