ワールドカップ女子大会の開幕が目前となっており、パリオリンピックに向けても盛り上がっていますね。
女子日本代表の眞鍋政義監督ですが、実は若い頃、野球少年だったようなんです。
今回は、眞鍋政義監督の若いころについて、調査しました!ぜひ、最後までご覧ください。
眞鍋政義の若い頃は野球少年だった!
眞鍋政義監督は、姫路市立白鷺中学校卒業後、大阪商業大学高等学校、大阪商業大学と進学しています。
ずっと野球少年だった眞鍋政義監督は、中学入学当初は、野球部に入部していました。
監督から捕手をやるように言われたものの、目の前でバットを振られるのが怖くて、部活に行かなくなってしまいます。
そんな中、バレーボール部の顧問から誘われたことがきっかけで、バレーボール部に転部しました。
すぐに才能を発揮し、エーススパイカーとして活躍します。
学生時代から実力を発揮
大阪商業大学高等学校時代は、1年生からセッターで活躍し、インターハイ優勝に貢献しています。
大阪商業大学時代は、ユニバーシアードで優勝にも輝きました。
大学4年生のときには、全日本に招集され、ワールドカップにも出場を果たしました。
1985年~2003年は、日本を代表するセッターとして活躍してきました。
日本リーグ3連覇や、黒鷲旗3連覇と快挙を成し遂げ、ソウルオリンピックなど多くの国際大会に出場しました。
眞鍋政義監督は大阪商業大学を卒業後、1986年に新日本製鐵に入社し、1年目からレギュラーとして活躍をして新人王を獲得されています。
その後も日本リーグ3連覇・黒鷲旗3連覇とチームに大きく貢献しており、1988年のソウル五輪など、日本代表として活躍しました。
現役引退後は、久光製薬スプリングスの監督に就任し、1年目からチームに勝利をもたらしています。
その後、2008年~2016年まで、日本代表の監督を務め、2010年の世界選手権、2012年のロンドンでは銅メダルを獲得しています。
眞鍋政義の若い頃は痩せていてイケメン!?
全日本に欠かせない選手だった眞鍋政義監督。今はややぽっちゃりしていますが、若い頃は痩せていてイケメンですよね。
髪型が印象的でしたが、シュッとしています。
そんな眞鍋政義監督ですが、一時期激ヤセが心配されていたことがありました。
眞鍋政義が激痩せした理由は?
眞鍋政義監督は、2016年に監督を退任しており、5年後の2021年に復帰しています。
2023年は、東京オリンピック金メダリストのアメリカに勝利し、いい流れに乗っています。
しかし監督は、以前に比べてかなり激痩せしている、と言われているのです。
監督は結果が全てなので、日本代表ともなると、プレッシャーはすさまじいでしょう。
眞鍋政義監督の復帰前に監督を務めていた中田監督も、どんどん痩せてしまい、なんと体重が62キロから54キロまで激痩せしてしまったそうです。
練習後にも、ビデオチェックやスタッフらとの打ち合わせ、データ分析など多忙を極め、過労のため痩せてしまったようです。
眞鍋政義監督は退任後、地元でクラブチーム「ヴィクトリーナ姫路」を立ち上げたりと地域貢献をしていました。
日本代表のストレスが無くなり、リフレッシュできたのかもしれませんね。
眞鍋政義は病気だった?
眞鍋政義監督が急激に痩せたことから、病気説も浮上していました。
顔色が悪いとも言われていましたが、現在に至るまで病気の発表はありません。
眞鍋政義監督は現在60歳を迎える歳ですから、年齢とともに痩せてしまったことも考えられますね。
もともと現役時代もシュッとしていましたが、監督時代はややぽっちゃりしていたので、余計に痩せて見えてしまいますね。
日本代表の監督に復帰するにあたり、やることも多かったでしょうから、体型の変化が顕著になって表れたのでしょう。
まとめ
今回は、眞鍋政義監督の若いころについて、紹介しました!
眞鍋政義監督の若い頃は、痩せていてシャープなイケメンでしたね。
現在は一部で激痩せも心配されていますが、病気という情報はないので、とりあえず安心ですね。
今後の情報にも注目ですね。最後までお読みいただき、ありがとうございました。