山川穂高の父と母が離婚した理由は!?家族構成や生い立ちを調査

WBCでも活躍した、西武ライオンズの山川穂高選手。

不倫&強制わいせつ疑惑で野球生命が危機にさらされており、今後が心配ですよね。

そんな山川穂高選手ですが、壮絶な生い立ちで育ってきたようです。

今回は、山川穂高選手の両親や生い立ちについて、調査しました!ぜひ、最後までご覧ください。

目次

山川穂高の父と母が離婚した理由は?

サンケイスポーツ

山川穂高選手の家族構成は、母・喜代子さんとの2人です。

両親は幼少期に離婚しており、兄弟もいないので、母一人子一人で育ってきました。

山川穂高さんが生まれてすぐに離婚したので、父親の記憶はなく、現在も語ることはありません。

離婚理由は不明ですが、山川穂高さんが父のことを語らない点からも、あまり良い思い出は無いのでしょう

山川穂高選手には、「ハーフ説」が浮上しています。父親の国籍については明らかになっていませんが、山川穂高選手はお母さん似だそうです。

山川穂高君は、目尻が垂れていて可愛らしい顔つきがお母さん似ですが、お母さんは小柄だそうです。

ガッチリした体格は、父親似なのかもしれないですね。

母子家庭で育った

沖縄タイムズ

父と幼くして離れたこともあり、山川穂高選手の実家は決して裕福ではありませんでした。

そのため、母は山川穂高選手にはご飯をたくさん食べさせて、自分の食事はパンだけだったりと、食費を節約していたそうです。

また、母は、山川穂高選手が、野球に集中できる環境作りをしてくれたそうですよ。

小学校のころからアイススケートや水泳、野球など、たくさんスポーツを習ってきました。

母の実家は沖縄県久米島市で、幼少期にはよく母と遊びに行っていたそうです。

野球を始めたのは、小学校5年生の頃でしたが、一度も母親から「やりなさい」と強制されたことはありませんでした。

山川穂高選手が「グローブがほしい」と言ったら、躊躇なく買ってくれたそうです。試合も、いつも応援に来てくれたそうです。

そんなとき、高校1年の時に上下関係が厳しく、野球を「やめたい」と母親に言いました。

その時も「別にいいよ~」と言われたそうで、大会直前だったので、「それだけ出てみたら」とアドバイスされました。

そして、その試合で人生初のホームランを打ったので、野球を続けることを決めたそうです。

当時、母は試合をスタンドからビデオ撮影しながら、応援していました。

後日、そのビデオを見てみると、母が初めて、声をあげて泣いていたそうです。

このエピソードが無ければ、今の山川穂高選手はいなかったかもしれませんね。

山川穂高選手が通っていた保育園の園長先生も、

幼い彼が一生懸命靴を履こうとしているあいだ、何も言わずにじっと見ていました。せかしたり、怒ったりすることもせず、雨が降っている日でも、傘をさしながら、自分でできるまでずっと待っていましたよ。

サンケイスポーツ

母親について、このように語っていました。

母親との感動エピソード

サンケイスポーツ

実家は沖縄県那覇市で、中部商業高校を卒業するまでは、地元で過ごしていました。

首里城が火災にあった際は、自らの支援金500万円と、募金605,176円の贈呈を行うほど、沖縄愛が強いことでも知られていますね。

山川穂高選手は、2022年、ベルーナドームに観戦に訪れた母・喜代子さんに、ホームランをプレゼントしました。

その日は「母の日」だったので、最高の親孝行になりましたね。

この時のインタビューで、山川穂高選手は、「僕がここまででかくなったのは、本当にお母さんのおかげ。」と、感謝を述べていました。

山川穂高の生い立ちを調査

インスタグラム

山川穂高選手の両親は、山川穂高選手が生まれてすぐ離婚し、母子家庭で育ちました。

5歳の頃から書道を始めたのですが、きっかけは字がとてもキレイだった母が、「字はきれいであるべき」と考えたからでした。

最初はいやいや続けていたのですが、母に言われて、中学3年生で8段を取るまで続けていました。

また、ピアノも得意なのですが、ピアノ教室に通ったのは半年だけでした。

家族ぐるみで仲が良かった近所のお姉さんが、ピアノ講師をしていたので、遊びに行く感覚でピアノを習っていました。

山川穂高選手は、楽譜が読めないので、独学でピアノが弾けるようになったそうですよ。

那覇市立城北(じょうほく)小学校4年生の時、友人に誘われたことがきっかけで、首里マリナーズに入ります。

小学校の時に野球をはじめた山川穂高選手は、那覇市立城北中学校でバレーボール部に所属しつつ、公式野球のチームOLA沖縄(現・大矢ベースボールクラブ)に所属します。

監督からは、「ホームランバッターになれるから、絶対に小さい打撃はするな。」と言われていました。

高校時代は甲子園出場が叶わず、野球を辞めるつもりだった山川穂高選手。

しかし、沖縄県予選準決勝で、バックスクリーンに本塁打を打ったのを見た、富士大学の青木久典監督から、「1年生から4番を打たせて、必ずプロに行かせる」と、土下座でお願いされます。

そして、富士大学へ進学し、約束通り、1年生の春から4番を務め、北東北大学野球秋季リーグでは打点王を獲得しました。

2年生で「第38回日米大学野球選手権大会」の日本代表に選ばれ、3年生で「第26回アジア野球選手権大会」日本代表として活躍します。

2013年には、プロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズに2位指名され、プロ野球選手となります。

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2017年8月9日には、1歳年上の麻衣子さんと結婚し、7年間の交際を経てゴールインとなりました。

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2019年5月15日には、長女・真央ちゃんが誕生しています。娘が生まれた日には、ソフトバンクと対戦し、2本のホームランを放っています。

まとめ

今回は、山川穂高選手の両親や生い立ちについて、紹介しました!

山川穂高選手が生まれてすぐ、両親が離婚しており、母子家庭で育ってきたようですね。

母と二人三脚で野球人生を歩み、プロ野球でも活躍する選手に育ててくれたことに、感謝しかないですね。

今後の情報にも注目ですね。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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