張本智和選手は、宮城県仙台市出身の男子卓球選手です。
小学生の頃から非常に強く、ずっと注目を集め続けている選手です。
「チョレイ!」という掛け声も話題になりましたね。
そんな張本智和選手のご両親はもともと中国国籍を持っていた方でしたが、現在は日本に帰化しています。
なぜ帰化したのか、今回はその理由を調査いたしました。
張本智和の両親はそもそもなぜ日本へ?
張本智和選手のお父さんは、張本宇(はりもと ゆ)さんと言って、元々は中国で卓球の選手として活躍していました。
来日したきっかけは、1998年に仙台ジュニアクラブのコーチとして声がかかったことだそうです。
来日した先は張本智和選手の出身地となる宮城県仙台市でした。
そこで奥様の張凌(チャン・リン)さんと結婚し、2003年に張本智和選手が誕生しました。
初来日以降20年以上も日本で卓球の指導にあたっている張本宇さんですが、中国で卓球の指導をしたいという夢もあったそうで、実際中国のチームからも何度も声がかかったようです。
ただ、張本智和選手や妹さんも生まれ、生活の中心が宮城県仙台市になっていたことから日本でコーチを続けることを選んだとのことです。
張本智和の両親が帰化した理由は?
そもそも、日本に帰化したいと言ったのは張本智和選手です。
張本智和選手は、中国国籍の両親の元に生まれたため中国国籍を保有していましたが、日本生まれ日本育ち。
小学校も仙台市立東宮城野小学校へ通うなど友人もほぼ日本人だったと思います。
そんな中で張本智和選手が小学校4年生の時に日本に帰化したいと両親に相談し、父親とともに日本国籍を取得しました。
ちなみに、母親である張凌さんは今の所帰化したという情報はありません。
張凌さんは中国代表に選ばれたこともあるほどの実力者ですので、今後の可能性を考えて中国国籍のままでいた方が良いと判断したのかもしれませんね。
理由はいくつかあると言われていますので、ここからはそれを紹介していきたいと思います。
理由①日本に対する思い
先述した通り、日本に帰化したいと言い出したのは張本智和選手です。
日本生まれ日本育ちの張本智和選手は自身の故郷は日本だという気持ちがあり、将来は日の丸を背負って戦いたいという気持ちがあったと言われています。
2011年の3月には東日本大震災も経験しており、その時の経験からも故郷である「日本」への思いを強くしたのではないでしょうか。
理由②息子の思いに応えるため
日本に帰化したいという息子の告白を受けて、父親である張本宇さんは帰化しています。
日本では二重国籍は許可されていませんので、日本国籍を取得するということは中国国籍を離脱するということになります。
長く中国で卓球をしてきた張本宇さんには相当な決断だったのではないかと推測します。
ただ、息子である張本智和選手の「日の丸を背負って日本代表として戦いたい」という思いに応える形で日本国籍を取得したようです。
息子の熱い思いに応えて・・・というのがとても素敵ですね!
理由③水谷隼への憧れ
張本智和選手は、水谷隼さんに強い憧れを抱いていました。
水谷隼さんといえば、現役時代長く日本のトップに君臨していた選手です。
そんな選手を「自分が超えていくべき選手」として意識しており、同時に憧れもあったようです。
一緒に日の丸を背負って代表として戦いたいという思いもあったかもしれませんね!
理由④中国卓球界の厳しさ
中国といえば言わずと知れた卓球強豪国ですよね。
張本智和選手の両親は中国出身ですから、中国国内で卓球選手としてやっていくことがどれだけ難しいかを知っています。
そのため張本智和選手に卓球をやらせるのは反対だったそうです。
夫とともに卓球の厳しさを知るだけに、当初は選手になるのは反対でした。
https://www.nikkansports.com/sports/news/201801220000109.html
日本代表として活躍したいという張本智和選手の思いもあり、中国よりは世界で戦えると考えたのかもしれません。
まとめ
張本智和選手の両親が帰化した理由を調査いたしました。
帰化したいと言い出したのは張本智和選手だったんですね!それだけ日本に対する思いが強かったんだと思います。
その後の活躍はご存じのとおりで、東京オリンピックのシングルスでは惜しくもメダルに届かなかったものの、今後も活躍することは間違いなしだと思います。
これからも張本智和選手に注目していきたいと思います!
最後までご覧いただきありがとうございました。