本田選手は言わずと知れた日本を代表するサッカー選手ですが、意外と知られていないのが彼の家族構成や生い立ちについてです。
本田選手の両親や兄は一体どんな人だったの?
本記事では、本田選手を取り巻く家族と生い立ちについて詳しく掘り下げていきます。
本田圭佑の生い立ちは?
本田圭佑選手は大阪摂津市生まれです。
生まれた生家は、昭和30年代に建てられた、長屋風家屋がひしめく木造2階建て。
間取りは、1階4畳一間と台所、2階も6畳の和室と小さなベランダのある家でした。
その中で、祖父母と父母、兄と本田選手の6、7人での生活だったのだとか。
決して裕福でなかった幼少期を過ごした本田圭佑選手、12歳の時に書いた「将来の夢」で、
”世界一になったら、大金持ちになって親孝行をする”と書かれているんです。
そんな本田圭佑選手の家族について、次は紹介していきたいと思います。
本田圭佑の父の仕事は?
本田選手の父の名前は、本田司さんです。
顔写真などについては、公開されていない様です。
司さんの出身は熊本県坂本村の出身。
父が子供のサッカーの試合を見た際、こんなコメントを残されたとか。
「子供の試合には興味が沸かないんですよ。というのも他人のはそもそも興味ないし、子供は下手だから見ててもつまらないからね。
自分達はこんなサッカーを誰かがやってるから見たい、ではなく、そのサッカーを自分達がやりたい、と思う方が先行するからテレビでの観戦よりも自分達でプレーすることを選んでました。」と。
https://takupath.net/honda-hiroyuki-profile-5882
本田選手と言えば「メンタルの強さ」が有名ですが、その影響はどうやらブレることのない意志を持つ父譲りなのかもしれません。
そんな父である司さんは、野菜の卸売りを生業とされていたようです。
しかし、仕事に関しては1つのことを長く続けることができなかったようです。それでも野心家であった司さんは事業を起こしては、失敗して…の繰り返しだったとか。
そういった背景もあり、家族の生活はなかなか安定したものではなかったようです。
そのような状況が続いてしまえば、夫婦の関係にも影響は出てしまいますよね。
本田圭佑の母親は小学生の時に離婚していた!
本田圭佑選手の母親は、名前は明らかになっていませんが、「えっちゃん」と呼ばれていたと言われています。
広島出身で、若いころに大阪に出てきて保険のセールスレディをしており、そこで司さんと知り合いました。
司さんと結婚後は、本田圭佑選手の兄である弘幸さんと、圭佑さんを出産します。
しかし、まだ幼い本田選手らの子育てに加え、元々身体が弱かった母親にとっては、父を原因とした貧しい生活に困窮することになり、遂には両親の離婚という結果を招くことになってしまいました。
本田選手自身も、2017年に長友選手が「シングルファザーの支援をする」というTwitterのコメントに対し、「僕も対象者になれた」とシングルファザーの父の元で育った事を明かしています。
当時、本田選手は2年生だったようです。
まだまだ幼い子供達にとっては厳しすぎる現実を突きつけられてしまいましたので、小学校時代には、兄と一緒に貯めたお金を使い、父と離婚した母親に会うために岡山まで行ったこともあったようです。
そんな辛い過去を経験した本田選手だからこそ、サッカーに没頭した(するしかなかった)のかもしれませんね。
今でも日本へ帰ってくる時は、父ではなく広島県にある実母の家を訪ねるようです。
本田圭佑の祖父母が親代わりだった!?
まだ幼い本田選手らのいわゆる「親変わり」となったのが父親の祖父母である、祖父:満さんと祖母:晶子さんです。
彼らとは小学校から中学校までの期間を一緒にしています。祖父の満さんは当時ガスボンベを工場に運ぶ運転手を、祖母の晶子さんは清掃業や食器の洗浄等の仕事を複数掛け持ちしていました。
祖父母に育てられたとは言え、学校やサッカーから帰宅しても家には誰もいない、といった状況に置かれることが多くありました。
必然的に何でもかんでも自分でやらないといけない、という環境だったようです。祖父も父同様に本田選手に対しては厳しい言葉を浴びせることが多く、そんな日常が彼の「ハングリー精神」を構成していったのでしょう。
今も尚、彼のストイックな部分を垣間見る機会は多くありますが、彼を取り巻く周囲の環境がそうさせたと考えて良さそうです。
本田圭佑は兄の影響でサッカーを始めた!
幼少期から切ない過去を経験する本田選手ですが、彼には3歳年上の兄:弘幸さんがいます。
小学5年生の時、FC摂津に入団し、中学2年生では大阪選抜に選出されるほど、実はかなりのサッカー実力者だったのです。
そんな兄の背中を追って同じくFC摂津に入団することになったのが、本田選手のサッカーと出会うきっかけになったのです。
ちなみに兄の弘幸さんは現在「HEROE」という会社の経営者です。
この会社、日本のサッカー選手を欧州を中心とした海外のクラブに売り込み、契約まで漕ぎ着ける、最終的にはプロとして育成するという「育成プログラムのコーディネート」を手掛けています。
本田選手がイタリアの超名門であるACミランに入団する為の交渉、背番号10の要求に一躍買ったのが兄の弘幸さんなのです。なかなかの手腕ですよね。
有名な選手だと川崎の家永選手(元日本代表)、PECズヴォレの中山選手(現日本代表)など、多くの選手を手掛けているのだとか。
まとめ
本田選手の生い立ちと取り巻く家族について知れば知るほど、彼のルーツが分かってきます。
サッカーに焦点を当てた時、W杯では3大会連続ゴール、アジア人初となる3大会連続アシスト、FIFA選出のW杯の「マン・オブ・ザ・マッチ」数において日本人最多の4回受賞等、輝かしい功績を残してきたことは周知の事実です。
反面、本田選手と言えばTwitterの発言や、ひとつひとつの言動に日本国内のあらゆる人が注目していますよね。サッカーだけでなく政治的な面において、最近ではウクライナ情勢についてのツイートも見受けられます。
「彼の言葉から次は一体何が発信されるのだろうか?」と人を惹きつける魅力の根底的な部分には、彼の功績は勿論ですが、彼の人柄も大きな要因としてありそうですね。
そしてその人柄・人格を形成してきた部分を知る為には、彼の過去にヒントがありそうですね。