女子スピードスケート選手として、平昌オリンピックでは圧巻のすべりを見せた小平奈緒さん。
北京オリンピックでもメダル獲得が期待されており、日本選手団のエース的存在ですね。
そんな小平奈緒さんですが、実家や家族構成が気になる人も多いと思います。
今回は、小平奈緒さんの実家や家族構成について、調査しました!
小平奈緒の実家は茅野市!
小平奈緒さんは、長野県芽野市出身です。
小学校は、茅野市立豊平小学校(住所:長野県茅野市豊平2340)だったので、この学区内に実家があります。
地元では小平奈緒さんの活躍を全力で応援しており、「小平奈緒選手の軌跡」という展示会が開催されたほどでした。
小平奈緒さんの母・光子さん協力のもと、実際のメダルや着用したユニホームが見られるそうですよ。
茅野市は全体的にスケートが活発な街だそうで、校庭に氷を張って「校庭リンク」をつくる学校もあるそうです。
小平奈緒さんは、北京オリンピックへ出発する前に、茅野市役所を訪れて市長に抱負を語っています。
小平選手は「市民の皆さまと一緒に喜びを分かち合えるようなパフォーマンスを目指して頑張りたい」と決意を述べた。
また、「NAO ice OVAL」の愛称が付けられたことに触れ、「五輪の開催期間中に市民がスケートを楽しんでもらえるような機会にもなればいい」と話した。
茅野市ホームページ
市長からもエールが送られ、激励金も贈与されています。町を挙げて小平奈緒さんを応援しているのですね!
小平奈緒の家族構成を調査!
小平奈緒さんは、両親と2人の姉の5人家族です。
父・小平康彦さん、母・光子さん、長女・知佳さん、次女・真衣さんと、3姉妹の末っ子だったのですね。
長野県で生まれ育ったので、幼いころから雪や氷に囲まれて、ウィンタースポーツを始めるのは自然な流れだったのかもしれないですね。
小平奈緒の両親がすごい!
小平奈緒さんの両親は、幼いころから娘のスケート教育に全力を注いできました。
平昌オリンピックも現地・韓国まで応援に向かっていましたね。
父の康彦さんは、スケートは体育の授業で習ったくらいだったのですが、娘たちがスケートを始めたタイミングで、独学で勉強したそうです。
近くのリンクまで実業団選手の滑りをチェックしにいき、一緒に見学して滑りを学んだそうです。
小平奈緒さんが小学生になるころには、自分で練習メニューを組ませていたそうですよ。
「簡単に人から教わるのではなく、自分で考えて発見するというプロセスを大事にしてほしかった」
サンケイスポーツ
「どうすれば速く滑れるか」「どう考えている?」と、毎日親子で切磋琢磨していたそうです。
小平奈緒さんは、幼いころから自分で考える力が身に付き、リンクを1周するごとに父にアドバイスをもらっていたそうです。
今でも練習メニューを自分で決めて、考えて競技に活かせる姿勢は、父の指導のおかげなのですね。
スケートの練習が終われば、すぐに父の顔にもどり、家では他愛のない会話で小平奈緒さんをリラックスさせてあげるようにしています。
父は中学生までコーチを務めたのち、プロのコーチに小平奈緒さんの技術面をまかせます。
精神面は今でもアドバイスするそうで、「どうやったら早く走れるか」、常に考えさせるそうです。
母の光子さんはとても負けず嫌いで、小平奈緒さんに性格がよく似ているとか。
光子さんは、とにかく小平奈緒さんに楽しみながらスケートをやってほしい、と願っているそうです。
“不器用なんですが、興味を持ったら納得いくまでやる。オムレツ好きになったら毎日オムレツ。竹馬も一輪車もできるまで一生懸命。そういうコです”
サンケイスポーツ
両親の職業はともに不明なのですが、父はずっと小平奈緒さんのコーチをしていましたので、自営業などある程度融通がきく仕事だった可能性はありますね。
小平奈緒の姉2人が美人!
小平奈緒さんは3人姉妹の末っ子で、平昌オリンピックには、姉たち2人も現地で応援していました。
小平奈緒さんは3歳でスピードスケートを始めたのですが、きっかけはお姉さんたちだったそうです。
長女・知佳さん、次女・真衣さんともに、幼いころからスケートをしていました。
小平奈緒さんも姉に続いてスケートを始めたのですが、姉2人は遊び感覚で、競技の経験はありません。
小平奈緒さんの母校である豊平小学校スケートクラブでも、姉妹3人でスケートをしていたのですが、姉たちはだんだん寒いのが嫌になっていったとか。
真衣さんはずっと寒くて嫌々通っていたのですが、奈緒さんだけ心から楽しんでいました。
姉たちはだんだんスケートをやらなくなっていきましたが、小平奈緒さんだけ反対に、どんどんのめり込んでいきます。
幼少期、人見知りで非常におとなしい性格だったそうで、いつも父親の後ろに隠れているような少女でした。
しかし、スケートに関しては姉たちよりも熱心で、いつまでも残って練習し、努力し続けていました。
小学生の時に書いた「自分年表」では、冬季オリンピックの4年ごとに、「オリンピック出場」を掲げていたそうです。
当時トップスケーターと言われていた、清水宏保さんや岡崎朋美さんを尊敬し、将来の夢もスピードスケート選手だったそうです。
こんな幼い時からの夢を有言実行しているのは、本当に尊敬しかないですね。
お姉さんたちは小学校卒業してからは、スケートをやめてしまったのですが、妹をサポートする役に回ったのですね。
姉たちは2人ともすでに結婚していて、実家を離れて長野県を出ているようです。
長女は「和田知佳」さんになり、神奈川県鎌倉市へ。次女は「橋詰真衣」さんになり、愛知県豊川市へ移り住んでいます。
なかなか会う機会はありませんが、姉妹仲は大変良好だそうですよ。
自慢の妹が平昌オリンピックで金メダルを獲得したので、姉たちは本人以上にうれしかったでしょうね。
両親は娘たちが2人も巣立っていき、うれしい反面少し寂しいでしょうね。
お姉さんたちいわく、小平奈緒さんは昔からおっとりしていて、人見知りな性格だったとか。
しかし、いざスケートとなると一変し、かっこいいアスリートに変貌します。そのギャップが、小平奈緒さんの魅力でしょうね。
まとめ
今回は、小平奈緒さんの家族構成について、紹介しました。
長野県茅野市出身の小平奈緒さん。両親と姉2人の5人家族のもと、育ちました。
父は独学で小平奈緒さんのコーチをつとめています。姉たちもスケートをしていましたが、競技はしていなかったようですね。
今後の活躍にも注目ですね!